イジワル部長と仮りそめ恋人契約
「おじいさま、千楓さん、申し訳ありません。実は志桜さんと俺は、本当の恋人同士ではないんです」

「はっ?」



素っ頓狂な声を上げたのはおじいちゃんだ。私も驚いて、勢いよく悠悟さんを見た。

彼は私のことなんて視界に入れず、ひたすらまっすぐにおじいちゃんのことを見据えている。



「1ヶ月前、偶然千楓さんとの約束の場所に居合わせた俺に、志桜さんが『兄の前で恋人役をやってくれ』と頼み込んできました。俺は最初迷いましたが、まあ今だけならと思いそれを引き受けました」



淡々と、悠悟さんがあの日の真実を語る。

私はただただ混乱して、その横顔を呆然と見つめていた。



「その後結局、1ヶ月後に今度はあなたの前に来る話になって……志桜さんは『もういい』と言いましたが、俺はまたここで偽の恋人を演じることを今度は自分から提案しました。だからといってそれは志桜さんのためでなく、ミスミ電機に勤める千楓さんと仕事に繋がる接点を持ちたいがための、俺の浅ましい感情から来た契約でした。流されやすい志桜さんの性格上、何かと上手く丸め込めそうだとも思いましたし」

「貴様……っ」



彼の言葉に反応して、ずっと黙っていたお兄ちゃんが悠悟さんへと掴みかかる。

されるがまま、それでも悠悟さんは、おじいちゃんへ向ける視線を逸らさなかった。



「だけど、あなた方だってもうわかったでしょう? ここにいる志桜さんは、1ヶ月前までの彼女とは違う。自分の意見を持って、それを逃げずに相手へと伝えることができる。偽の恋人なんて用意しなくたって、ちゃんと立派に」



そのとき一瞬、悠悟さんがこちらを流し見た。

私と目が合った瞬間だけ、僅かに頬を緩める。けれどすぐその口もとを引き締め、おじいちゃんへと向き直った。



「今まで志桜さんがあなた方に従順だったのは、自分を持っていないからじゃない。あなたたちのことが大好きで、裏切りたくなかったからです。でもあのときばかりは、たまたまその場に居合わせただけの俺みたいなのに縋りつかなきゃいけないほど、志桜さんは追い詰められていた」
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