イジワル部長と仮りそめ恋人契約
正面にいるおじいちゃんも、悠悟さんの襟元を掴んだままのお兄ちゃんも、何も言わない。

静かな空気の中、悠悟さんの凛とした声だけが響く。



「それを、わかってあげてください。……志桜さんは素敵な女性です。あなた方のお膳立てなんてなくても、自分の力できっと幸せを掴むことができる」



お兄ちゃんの、悠悟さんに掴みかかった手の力が緩んだ。

そのタイミングで彼が、座布団から下りて立ち上がる。



「それまでどうか、おふたりはただ、見守ってあげてください」



もう、目は合わなかった。言いきって深く礼をした悠悟さんは、そのままこの場から出て行ってしまう。



「……ッ、」



私は、胸がいっぱいで。

そして、悲しくてたまらない。


……悠悟さんは最初から、“ここ”ですべて、終わらせるつもりだったの?

偽装恋人の契約は、私の我儘が発端だった。

それなのに悠悟さんは……自分を悪者にして、私を庇ってくれて。

私は自力で幸せを掴めるはずだと、言ってくれて。

彼の言葉はうれしいもののはずなのに、ひどく泣きたくなる。

きっとそれは、あの人の中に──私と悠悟さんがこれからも一緒にいる未来が、欠片も存在していないと気づいてしまったから。



「志桜、今の話は……」



しかめっ面をしたお兄ちゃんに左腕を掴まれた。

私はポツリとつぶやく。



「ごめんお兄ちゃん」



掴まれた腕を振りほどく。後ろからおじいちゃんとお兄ちゃんが私を呼び止める声がしたけれど、それに振り返ることもせず悠悟さんを追いかけて部屋を飛び出した。
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