俺はお前がいいんだよ
「おい。……なら俺も帰るよ」
頑なな私にしびれを切らしたのか、桶川さんは黙って後をついてくる。
私が話さないからなのか、桶川さんもずっと話さない。
会話がないの、気まずい。いつものくだらない話や言い合いが懐かしい。
何の気なく会話していたつもりだったけれど、あの時間が、私にとってすごく凄く幸せなものだったんだと気づかされた。
ジワリと浮かんでくる涙。首を振って顔を上げた時、聞き覚えのある声に呼び止められ、血の気が下がった。
「あ、高井戸さん?」
会社のビルのエントランスに入ったところでのことだ。私に話しかけてくるのは、もう二度と会いたくなかった人。
「良かった会えて。待ってたんだよ」
ヘラヘラと、笑みを浮かべて近づいてくる森上さんに、私は足がすくんで動けなくなってしまった。
「高井戸、知り合い?」
桶川さんが尋ねる。私は声が出せないまま頷いた。
「今の会社の方ですか? 僕は前の会社の同僚です。……終わるの待ってるからさ、食事でも行こうよ。高井戸さん」
「や、森上さ……」
彼の名前を怯えた声で呼んだその時、桶川さんが私の腕を掴んで庇うように後ろに回した。
「アンタが、森上ってやつ?」
「へ?」
森上さんも私も驚いて桶川さんを見る。
前の会社に出入りしていたとはいえ、桶川さんと実際会話していたのは部長で、森上さんのことなんて知らないはずなのに。
「あ、アンタ誰だ? 僕は彼女に用があるんだ。大事な話がね。アンタみたいな色男なら別に女に困ってないでしょう? 僕には高井戸さんだけなんだ。譲ってくれないからな」
「私……、森上さんのことは、ホントになんとも思ってないですから」
「色々あって勘違いしてるだけでしょう? だって前は好意を寄せてくれてたじゃない」
だからそれは、渋川さんが勝手に言ってたことだって。真に受けて勘違いしないでよ。