恋の人、愛の人。
陽佑さんは腕を広げて狼狽えて入って来た。私は私で陽佑さんだと安心して腕を伸ばし掛けていた。
…あ、何となく、お互いに所在をなくした腕を下ろした。腕の中に飛び込む理由がなかった。


「はぁ…、じゃあ、何でもないのか…」

「はい、朝からお騒がせしました…」

私は、何もないけど、何かあるのは困るから出て来たと話した。

「最初から解ってた事だよな。…ただ、さ、そこに梨薫ちゃんも、好きがはっきりして来たら、何でもない事だったんだよ。
だけど、まだ、そこまで許せる程好きになっていなかったって事なのかな…」

「本当にごめんなさい。完全に…この鍵を当てにしてしまいました。陽佑さんが、逃げ込んで来れる場所だと言ってくれてたから」

「ん、まあ…何か、何もないって言っても…多少はあったって事だな。物理的にも精神的にも。だってさ、この鍵を渡したのは昨夜の事じゃないか」

「まあ…はい、それなりにというか、一緒に居てはいけないと思うような事が、ありました…」

「…はぁ。説教するつもりはない。俺はそんな立場じゃない。だけど、解ってた事だよな。本当…甘いよ。
いいか?男と夜一緒なんだからな、起きて当然の事だと思わなきゃ駄目だからな?…はぁ。
…朝ご飯はどうするんだ?」

首を振った。

「行き掛けに、どこかで済ませようかと思ってます」

「それでもいいけど。
トーストと珈琲。それと目玉焼き…、スクランブルにするか?そのままターンオーバーにするか?
それで良ければ出来るから」

「陽佑さん…」

「来たついでだ。俺もどうせ食べるし。今更遠慮はするな。食って行けばいい」

「何もかも…迷惑ばかりかけてごめんなさい」

「ここはそういうところじゃないか。
さあ、店の方に行こう。あー、そうか、まだ早いか」

頭を掻いた。

「はい、そうですね、フフフ」

慌てて来てくれた勢いのままだ。今が何時なんて、時間なんて解らなくなっていたんだ。

「眠くないか?大丈夫か?仕事に支障が出る、横になってたらどうだ?」

ベッドに一緒に腰掛けていた。
陽佑さんは立ち上がってソファーの方へ移動した。

「これで大丈夫だ。起きて、食べて間に合う時間には起きろよ?」

「はい」

特に寝なくても良かった。だけど、アラームをセットして横になった。好意は無下にしてはいけないと思った。
陽佑さんは腕組みをして瞼を閉じていた。


起きた時にはプレートにトーストとスクランブルエッグ、フルーツにヨーグルトがかけられた物、それに珈琲が運ばれて来た。

「こっちの方が後の支度とかにいいだろ。食べたらそのままにしといていいから。メイクとか、時間がいるだろ?」

至れり尽くせりとはこの事か…細かく気がつくその気遣いが嬉しかったけど心苦しい程だった。
誰かに構って貰うと駄目人間になりそうだ。


支度を済ませ裏から出ると、陽佑さんが出口まで追い掛けて来て、いってらっしゃいと見送ってくれた。
私はなんて…調子のいい事をしているのだろう。


今朝だけの事だと思っていたのに、陽佑さんは翌日から毎朝出掛ける前には来てくれた。
そして朝ご飯を用意してくれ、送り出してくれた。
夜は部屋の鍵をかける事は忘れるなよといつも念押しされた。
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