あの日みた月を君も
「誰か心に決めた女性がいるなら構わないんだが、もしいないなら、君みたいな優秀な人間なら是非に僕の娘をもらってもらえないかと思って。」

「ええ、そんな恐縮です。」

僕は頭をかきながら視線を落とした。

いつか、そういう話が出てくるだろうとは、心のどこかで予想していた。

社長とうちの父親は友人だったし、社長には本当にこれまでかわいがってもらっていた。

僕も自分の父親同然慕っていて、会社の為に働いてきたつもりだ。

社長の娘は、時々社長と一緒に工場にやってきて、僕たち社員達にあんころ餅を振る舞ってくれたり、お茶を出してくれたりしていた。

まだ二十歳になったばかりだと思う。

いつも笑っていて器量よしの申し分ない女性だった。

「迷惑でなければ、一度娘と2人でデートでもどうかな。」

「はい、喜んで。」

喜んでなんて嘘だった。

でも、社長からそんな風に言ってもらえるのはとてもありがたいことだった。

断る理由もなかった。

デートしたとしても、それが結婚に直結するとは限らないし。

僕はあまり深く考えずに返事をしていた。

「じゃあ、とりあえず娘には伝えておくよ。」

社長は明るく笑った。

「よろしくお願いします。」

僕は一礼すると、また自分の席に戻って弁当の続きを食べた。

久しぶりに思い出した、アユミのこと。





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