愛され婚~契約妻ですが、御曹司に甘やかされてます~

自分にこんな感情があるなんて、知りもしなかった。
廊下を歩き、彼女のいる部屋から遠ざかる。彼女から一旦距離を置き、一刻も早く冷静になりたかった。
何事にも動じない自分に戻らなくてはならない。

廊下の一角にある応接セットのソファに腰かけ、天井を見上げる。

「奏多さま。いかがなさいました」

突然伊吹が現れ、心配そうに俺に声をかける。

「君は本当に、俺の動きに敏感だね。まるで影のようだ」
嫌みのつもりで言ったが、彼は動じない。

「ええ。私はいつでも奏多さまのおそばにおります。それが任務ですから」

いつもと変わらない事務的な彼の献身ぶりに、フッと笑う。

「いいよね。そうやって自分のすべきことを貫けるのは。俺にはわからなくて。瑠衣といると、俺は予想もつかない行動をする。……傷つけるつもりなんてなくても、気づけば泣かせてしまって」

素直に胸の内を話す俺を、伊吹は黙って見ている。

「彼女がどんな答えを言えば、自分が納得するのかわからないんだ。瑠衣はいずれ、俺の前からいなくなる。だけど今だけは、大切にしたいんだ。そう思っているのにうまくいかないよ」

惚れたら終わりだと自分に言い聞かせるほどにうまくやれない。こんな俺を見て、伊吹はどう思うだろう。
きっと無表情な顔のまま、いつものように、俺らしくないとでも言うのだろう。

「人は誰しも、本当の気持ちを隠して生きています。あなたのような立場の方は特に、自由に振る舞えない状況に縛られています」

ゆっくりと話し始めた伊吹を見る。
その表情は、いつものような仮面を貼り付けたようなものではなく、ずいぶんと穏やかに見えた。



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