気高き国王の過保護な愛執
「そういうわけじゃなかったけど、せっかくならこっちに来て」

「ゲーアハルト卿も粋な計らいをしたものですね」

「彼もおれの記憶がないことに気づいていたんだな。だが王妃やジャン・ミュイの手前、知っていることを隠してたってことか」

「親しくしていた者なら、ひと目見ればわかりますよ。たとえるなら、猫を探しに出たら犬が名乗り出てきたくらいの違いです」


クラウスのたとえに、椅子ごと移動しながらフレデリカが噴き出す。


「彼はあなたを連れ戻さず、危険から隠しておくこともできたはず。そうしなかったのは、ひとつには王妃たちを揺さぶる目的だったでしょうけれど…」


行儀悪く頬杖をついて、クラウスがフォークを、魔法使いの杖のように回した。


「変化したあなたを、王に戴きたいと思ってしまったのだと思いますよ。昔から見せていた慎重な優しさに加え、生来の素直さと負けん気を取り戻していた。元団長殿は、夢をくすぐられたんです。罪な男ですね、ディーター」

「お前は…気にならないのか、おれの別人ぶりが」

「誤差の範囲です。あなたはあなたですよ」


手巾で口を拭き、ちらっと微笑んでみせる。その左手は手袋で覆われている。

隣に移動してきたフレデリカも、あきれたように言い添えた。


「だから、私もずっとそう言ってるじゃない」


怒られてきまり悪い思いをしながらも、重ねて聞く。


「お前のことを、覚えていなくても?」


クラウスはうなずき、卓上の葡萄酒の瓶に手を伸ばした。


「ささいなことです。これからの人生のほうがずっと長い」


グラスに注がれる深紅の液体を見つめ、ルビオは黙った。


「あなたはおそらく、過去の記憶はフレデリカ殿と過ごした記憶と引きかえにしか取り戻せないと考えているのでしょうけれど、私の見立てでは違います」

「えっ」

「信頼していた私に裏切られ、さらに矢で射られたことで呆然自失になり、自分の心を守るため、自分で自分の記憶に蓋をしたのだと思います。それがなくなった今、徐々に記憶は戻るでしょう。なにも失うことなくね」
< 146 / 184 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop