ひとはだの効能
「だって、香澄さんは腹立たないの」

 苛立つ俺とは対照的に、香澄さんは表情こそ暗いものの落ち着いている。

 ふっとため息と共に薄い笑みを浮かべると、香澄さんは前を向いた。

「そりゃあね、別れるって言われてすぐは頭にもきたし、悲しかったよ」

 悲しすぎて、祈ちゃんの花嫁姿を直視することはできなかった、と香澄さんは唇を噛んだ。

「でもね、私にはあの日遊馬くんがいたから」
「……え?」

 潤んだ瞳が、戸惑う俺を見上げる。

「理由も尋ねず、ただなんとなく察して一緒に飲んでくれて、そのまま一晩、一緒にいてくれて……。私はあの夜、君に助けられたの」

 赤く塗られた唇が、ありがとうの形に動き、ゆっくりと弧を描いた。

 艶やかさをます唇に目を奪われ、背筋を何かが駆け上がる。抗い難い衝動と共に、あの夜の光景が瞬時に呼び覚まされた。

 ありがとう、だなんて。そんな言葉を言われる資格、本当に俺にあるんだろうか。

 二人を祝福したあの日からずっと、重ね合わせた肌の記憶に救われていたのは、間違いなく俺の方だ。

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