イジワルなくちびるから~…甘い嘘。【完】

私が春華堂に入社すると決めたのは、Arielの個展のお手伝いができると思ったから。だから裏方でもなんでもいい思っていたのに、そんな重要な仕事を任せてもらえるなんて……


実は、結果的にあんな流れになり、零士先生を怒らせてしまったから、個展スタッフから外されるんじゃないと不安だった。


そんな時に個展の資料を渡され、開催ギリギリだから仕方なくスタッフに残してもらえたんだと思っていたんけど、それは私の思い違いだったようだ。そもそも零士先生は私情を仕事に持ち込むような人じゃない。


彼のことを誤解していた自分が恥ずかしくて堪らず目を伏せると、青白い煙を吐き出した零士先生が突然私の顎を持ち上げ、微かな笑みを浮かべる。


「俺が知っている限り、宇都宮以上のArielファンは居ないからな」

「あ……」


心臓がドクンと大きな音を立てた。


それは、彼の顔が間近に迫ってきたからでも、認められて嬉しかったからでもない。零士先生が私のことを"宇都宮"と呼んだから。


零士先生にとって私はもう特別な存在じゃない。春華堂の一社員の"宇都宮"なんだ。それが分かったから、ポケットの中の退職願を出す決心がついた。


「一時間後、矢城ギャラリーに行って個展準備に加わってくれ」


その指示に「はい」と返事をした後、退職願を差し出し「Arielの個展が終わったら、春華堂を辞めさせてください」と頭を下げる。


零士先生は特に驚く様子もなく私の手から退職願を受け取るとそれをジャケットの内ポケットにしまい、淡々とした口調で言う。


「ちょうど良かった」

「えっ?」

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