【完】V.I.P〜今宵、貴方だけの私になる〜
「あぁ、そうだ。だったら今度から俺の分も作ってはくれないか?」
「………………は?」
突然の申し出に、思考が追いつかない。
押し黙る私に、何時の間にか近寄ってきた彼が、甘えるような声で頼み込んできた。
「一度だけでもいい。綾小路の作った料理が食いたい」
その唐突過ぎる申し出はプロポーズのように耳の中へ響き、一瞬無意識に右耳へ手をやってしまう程だった。
私はそれに耐えながら、思案する。
「とは言いましても…」
「嫌か?」
「嫌というか、恥ずかしいです」
「何も恥ずかしがる事はないだろ?此処で服を脱いでくれと言ってる訳でもないのに」
「…それ、セクハラだって分かってて言ってますね?」
「さぁ?どうだか…」
私は自分の手元にあるお弁当箱を見やった。
自炊歴は長いのでそれなりの物は作れる。
だから、料理を食べてもらうことに抵抗はあまりない。
でも、…それは自分の一部分を彼に晒してしまうようで…気恥ずかしい。
そんな事を考えている数分。
私は葛藤の末、腹を括った。
「じゃあ、来週、月曜日のランチは空けといてくださいね?」
「あぁ。分かった。綾小路の手料理なんて幸せだな」
「お口に合うか分かりませんよ?」
「お前の作ったものに、文句なんて付けないよ」
これが、恋人同士の会話だったら…とても甘い雰囲気になるのだろうけど。
そこは、上司と部下だ。
食事を摂る為に部屋を出ていこうとする彼に向けて私はぴしゃりと言う。
「午後イチで打ち合わせしますから、寄り道しないでそれ迄に戻って来てくださいね?」
「分かった、分かった」
と、糖分も何もなく、淡々とした会話を続け、そのまま別々のランチとなった。
偶に同期がランチに誘ってくれることはあるけれど、その時は前もって社内メールアプリで予定を伺ってくれるから、出て行ける時だけにしている。
さっきみたいに、突然の申し出に対応できるような器用さは、生憎持ち合わせていない。
『忍はもっと肩の力抜けよ』
同期の石山くんはそう言ってにこにこと笑い掛けてくれる。
でも、肩の力を抜くって、どんな風にすればいいのか。
皆目検討もつかない。
「んー…。そうなんだけどねぇ…」
空になったマグカップの底を覗き込んで、私は溜息を吐いた。
三日月型に残った珈琲の跡は、なんだか切なさを引き寄せる。