MAZE ~迷路~
「栗栖さんは、なんであの事件に興味をもたれたんですか?」
美波は訊くと、更に栗栖の事を見つめた。やがて、夜空の星を映した様な美波の瞳が、怪しい緑色を帯び始めた。
(・・・・・・・・この娘、やっぱり翔悟の仲間だ・・・・・・・・)
栗栖が心の中で思った瞬間、今度は美波が身を乗り出した。
「翔悟を知ってるの?」
栗栖は、自分が声に出して翔悟の名を口にしたかどうか、思い出せなかった。
「僕、いま翔悟(しょうご)の事を口にしましたか?」
栗栖は言うと、訝しげな目をした。
『あなたは、翔悟の事を私に話さなくちゃいけないわ。』
栗栖は、美波の声が頭の奥で聞こえたような気がした。
「君は、翔悟と同じ一族の出身だ。絢子さんも。」
栗栖は言うと、全身の力を振り絞って美波の瞳から目をそらした。大きく息をついてから、もう一度美波の方を向くと、美波の瞳は最初と同じで、漆黒の闇に星空を映したように輝いていた。
「君たちは、同じ一族の出身だ。一部のカルト宗教で『巫女』もしくは、『神官』として崇められ、その存在価値はとても貴重だが、それ故に彼らの要求に逆らうと、命を奪われる事もある不運な存在だ。」
栗栖が言うと、美波は寂しげな表情を浮かべ俯いた。
「翔悟、あなたは翔悟の事を知っているんでしょう。そして、その事を貴方に話したのは翔悟ね。そうでしょう?」
美波は、小さな声でそう言った。
「そうです。僕は、翔悟の最後の数週間を一緒に過ごしました。」
雷に打たれたような衝撃が美波を襲った。
(・・・・・・・・最後の数週間? 翔悟が死んだ?・・・・・・・・)
栗栖の言葉に、美波の思考が止まった。
「翔悟は言ってました。裏切り者が一族の巫女を売り渡したと。翔悟は自分の運命の巫女を護るために戦っていると。でも裏切りに遇い、酷い怪我をしていました。翔悟のお姉さん、徳恵(のりえ)さんは、僕の恋人だったんです。巫女狩りで、カルトの連中になぶりものにされ、彼女は自分で自分の命を絶ったと聞いています。翔悟は、徳恵さんの死を目の当たりにしていたから、自分の運命の相手にも危険が迫っていることを確信していました。翔悟は、一族に危険が迫っている事を知らせてくれと、僕にその想いを託して、土に還りました。僕に、お二人を守ってくれと言い残して。僕がお二人を探し当てた時、美波さんは海外で、護れるのは絢子さんだけだった。時間の許す限り、見守り続けました。あの事件が起こった日も。僕は、車の中で二人が眠るのを見ていました。ところが、妙な一団が車で乗り付け、絢子さんを車から降ろすと、絢子さんの靴やバッグを崖から投げ捨てました。それから、連中は絢子さんだけを連れて車で走り去りました。僕は、慌てて連中をバイクで追いかけました。絢子さんを乗せた車は、近江病院の緊急センター入り口に消えて行きました。異様だとは思いましたが、近江病院は絢子さんの家でもある。まさか、あんな事件になるとは予想もしていなかったので、その日は家に帰ることにした。そして、翌日の朝、僕はニュースであの事件の事を知りました。」
美波には訊きたい事がたくさんあったが、どれも言葉にはならなかった。
「だから、僕は確信しています。絢子さんは生きていて、今もあの病院のどこかに監禁されているんだと。そして忌まわしい、あの院長や、その息子の子供を、一族の救世主を産むように強いられているんだと。」
言い終えた栗栖は、爪が刺さりそうなほどきつく、拳を握り締めた。
美波には、信じられない事ばかりだった。絢子の養父や優しかった義兄が絢子に子供を産ませようとしている。それでも、美波の中の真実を探るセンサーが、栗栖が嘘をついていないことを告げていた。
「どうやってカルト宗教のことを?」
美波は、やっとの事で質問した。
「翔悟が手がかりを残してくれました。無茶をして、翔悟は潜入していたようでした。そのおかげで、教祖のように崇められている近江院長が、巫女との間に自分の子供、救世主を誕生させようとして絢子さんの両親を殺し、絢子さんを養女に迎えた事、すべてが計画的犯行だったことがわかったんです。そして、万が一、絢子さんに子供ができなかった時には、院長たちは美波さん、貴方の誘拐を企んでいる事も翔悟は掴んでいました。だから、あの事件の後、貴方が帰ってくるまで、僕は翔悟との約束を果たすために、近江病院を糾弾し続けました。そして、美波さん、貴方が帰ってきてからは、貴方の安全を見守りながら、調査を続けてきました。翔悟は、最後まで貴方と絢子さんを心配していました。僕では翔悟の代わりにはなれないけれど、出来る限りの事はします。」
栗栖は、そこまで言うと美波の事を見つめた。
「翔悟は、・・・・・・翔悟は、もういないのね。」
美波は言うと、両手で顔を覆った。
「名刺に携帯の番号が書いてあります。用のあるときは、二十四時間いつでもかけてください。すぐに飛んで行きます。」
栗栖の言葉に、美波は何も答えなかった。
「翔悟の言ってた通り、貴方の緑の瞳は美しい。」
栗栖が言うと、美波は涙で潤んだ瞳で栗栖の事をみつめた。
「いま、全力で絢子さんがいると思われる場所を特定してます。看護士の一人の買収に成功したので、近い将来、かなり正確な場所がわかると思います。」
栗栖の言葉に、美波は黙って頷いた。
「判ったら、すぐに絢子さんを助けに行きましょう。」
栗栖は言うと、優しく笑いかけた。
「翔悟は、僕にとって弟みたいなものです。貴方が翔悟の巫女なら、妹も同じです。ただ一つ判らないのは、翔悟は絢子さんも貴方も、運命の巫女だと話してくれたんです。そんな事、ありえるんですか?」
言ってしまってから、栗栖は気まずそうな顔をした。
「昔、翔悟の先祖である飛翔(かける)には、彩音(あやね)という巫女が定められていました。でも飛翔は事故で亡くなり、彩音も後を追うようにしてなくなりました。彩音には、生まれる前に亡くなった双子の妹がいて、彩音の中に妹も生きていました。彩音が死んだ時、運命は彩音とその妹も飛翔に結び付けてしまったんでしょう。何世代も経ってから、翔悟は飛翔の運命の巫女、彩音を探し始め、私を見つけました。それから、彩音の運命を継ぐ絢子を見つけました。最初は、わけがわからなくて、でも翔悟は、次のチャンスを待つって私達の前から姿を消しました。」
美波が話すと、栗栖は無言で何度も頷いて見せた。
「こちらから連絡する事が出来ると嬉しいのですが、直接連絡する方法がありますか?」
栗栖が言うと、美波は自分の携帯電話の番号を栗栖に告げた。
「何かあったら、すぐに連絡をください。こちらも、わかり次第連絡します。」
「ありがとうございます。」
美波は言うと、頭を下げた。
「一緒にいる所を見られないほうがいい。」
栗栖は言うと、伝票を片手に立ち上がった。
「先に出ます。じゃあ。」
それだけ言うと、栗栖はレジの方に向かって歩き出した。
美波は、いつ頼んだのか、いつ運ばれてきたのかも思い出せない、冷え切った紅茶のカップに口をつけた。
栗栖の姿が街の人ごみに消えて見えなくなってから、美波は店を後にした。
☆☆☆
資料を片手に、家に飛んで帰った智は、とりあえず出版社に電話をかけてみることにした。少なくとも、一年弱前までは、事件の記事を掲載した雑誌を出版していたのだから、週末とはいえ、留守番係位は電話に出るだろうと考えての事だった。
しかし、調べてきた電話番号に電話してみると、すでに番号は使われていないと案内された。インターネットで検索してみたが、番号は調べてきたのと同じもので、目新しい情報を入手する事は出来なかった。仕方なく、電話番号案内に問い合わせると、東京都内だけでなく、隣接する神奈川、千葉、埼玉などにも該当する会社は登録されていなかった。
(・・・・・・・・倒産したのか?・・・・・・・・)
智は考えながら、行きつけの本屋に電話をかけてみた。
雑誌の名前と出版社を告げると、すぐに返事が返ってきた。
『ああ、あそこですか。たしか去年の秋頃かな、会社の入っていたビルが放火にあって、それ以来、出版活動を停止してますね。』
「放火されたんですか?」
智は思わず問い返した。
『ええ、同じビルに入っていた消費者金融が酷い取立てしてたとかで、その恨みのとばっちりを受けたって話でしたよ。あそこの雑誌、個人的には気に入っていたんですけどね。』
店員は残念そうに言った。
智は丁寧にお礼を言うと、電話を切った。
(・・・・・・・・口封じのために放火したのか?・・・・・・・・)
そんな事を考えながら、智は頭を横に振った。
(・・・・・・・・同じビルの消費者金融への恨みだって聞いたじゃないか・・・・・・・・)
自分を説得するように心の中で言うと、智は再び受話器に手を伸ばした。
『はい、粟野原でございます。』
すぐに有紀子(ゆきこ)の声が返ってきた。
「お母さん、智です。すいません、美波さんをお願いできますか?」
智は挨拶もそこそこに、問いかけた。
『ごめんなさい。美波、今日は外出してるの。』
「一人で出かけたんですか?」
我ながら、嫉妬深そうな響きの質問だとは思ったものの、智はすぐに切り返した。
『ええ、一人で出かけるって言ってたわ。もしかしたら、敦ちゃんが一緒かも知れないけれど。』
有紀子は言うと、智の返事を待っているようだった。
「ありがとうございます。携帯にかけてみます。」
智は言うと、電話を切ろうとした。
『智さん。美波との事、このままで良いのかしら?』
有紀子の言葉に、智は息を飲んだ。
「美波、なんてお話しました?」
智は電話を切るのを諦めた。美波が二人の破局的展開を有紀子に話してしまっている以上、有紀子がきちんとした回答を智に要求するのは当たり前のことだった。
『結婚は中止だって、私には話したわ。』
「すいません、喧嘩をしました。いままで喧嘩をしたことがほとんどなかったので、お互いに慣れてないんだと思います。僕の方は、婚約の解消、結婚式の延期といった事は考えていません。ただ、疲れていたせいか、少し感情的になってしまったせいで、美波さんの方が僕に愛想を尽かしたようです。少し時間を置いてから、話し合うつもりだったんですけど、逆に良くなかったかもしれません。」
智が言うと、有紀子は納得したようだった。
『あまり、年老いた親を心配させるものではありませんよ。』
有紀子は言うと、すんなりと電話を切らせてくれた。
智は一呼吸置いてから、美波の携帯に電話をかけたが、圏外のためつながらなかった。仕方なく、『折り返し電話が欲しい』と留守電にメッセージを残して、智は電話を切った。
(・・・・・・・・美波、どこに、誰といるんだ?・・・・・・・・)
智は、不安な気持ちを胸に、美波からの電話を待ち続けた。
☆☆☆
美波は訊くと、更に栗栖の事を見つめた。やがて、夜空の星を映した様な美波の瞳が、怪しい緑色を帯び始めた。
(・・・・・・・・この娘、やっぱり翔悟の仲間だ・・・・・・・・)
栗栖が心の中で思った瞬間、今度は美波が身を乗り出した。
「翔悟を知ってるの?」
栗栖は、自分が声に出して翔悟の名を口にしたかどうか、思い出せなかった。
「僕、いま翔悟(しょうご)の事を口にしましたか?」
栗栖は言うと、訝しげな目をした。
『あなたは、翔悟の事を私に話さなくちゃいけないわ。』
栗栖は、美波の声が頭の奥で聞こえたような気がした。
「君は、翔悟と同じ一族の出身だ。絢子さんも。」
栗栖は言うと、全身の力を振り絞って美波の瞳から目をそらした。大きく息をついてから、もう一度美波の方を向くと、美波の瞳は最初と同じで、漆黒の闇に星空を映したように輝いていた。
「君たちは、同じ一族の出身だ。一部のカルト宗教で『巫女』もしくは、『神官』として崇められ、その存在価値はとても貴重だが、それ故に彼らの要求に逆らうと、命を奪われる事もある不運な存在だ。」
栗栖が言うと、美波は寂しげな表情を浮かべ俯いた。
「翔悟、あなたは翔悟の事を知っているんでしょう。そして、その事を貴方に話したのは翔悟ね。そうでしょう?」
美波は、小さな声でそう言った。
「そうです。僕は、翔悟の最後の数週間を一緒に過ごしました。」
雷に打たれたような衝撃が美波を襲った。
(・・・・・・・・最後の数週間? 翔悟が死んだ?・・・・・・・・)
栗栖の言葉に、美波の思考が止まった。
「翔悟は言ってました。裏切り者が一族の巫女を売り渡したと。翔悟は自分の運命の巫女を護るために戦っていると。でも裏切りに遇い、酷い怪我をしていました。翔悟のお姉さん、徳恵(のりえ)さんは、僕の恋人だったんです。巫女狩りで、カルトの連中になぶりものにされ、彼女は自分で自分の命を絶ったと聞いています。翔悟は、徳恵さんの死を目の当たりにしていたから、自分の運命の相手にも危険が迫っていることを確信していました。翔悟は、一族に危険が迫っている事を知らせてくれと、僕にその想いを託して、土に還りました。僕に、お二人を守ってくれと言い残して。僕がお二人を探し当てた時、美波さんは海外で、護れるのは絢子さんだけだった。時間の許す限り、見守り続けました。あの事件が起こった日も。僕は、車の中で二人が眠るのを見ていました。ところが、妙な一団が車で乗り付け、絢子さんを車から降ろすと、絢子さんの靴やバッグを崖から投げ捨てました。それから、連中は絢子さんだけを連れて車で走り去りました。僕は、慌てて連中をバイクで追いかけました。絢子さんを乗せた車は、近江病院の緊急センター入り口に消えて行きました。異様だとは思いましたが、近江病院は絢子さんの家でもある。まさか、あんな事件になるとは予想もしていなかったので、その日は家に帰ることにした。そして、翌日の朝、僕はニュースであの事件の事を知りました。」
美波には訊きたい事がたくさんあったが、どれも言葉にはならなかった。
「だから、僕は確信しています。絢子さんは生きていて、今もあの病院のどこかに監禁されているんだと。そして忌まわしい、あの院長や、その息子の子供を、一族の救世主を産むように強いられているんだと。」
言い終えた栗栖は、爪が刺さりそうなほどきつく、拳を握り締めた。
美波には、信じられない事ばかりだった。絢子の養父や優しかった義兄が絢子に子供を産ませようとしている。それでも、美波の中の真実を探るセンサーが、栗栖が嘘をついていないことを告げていた。
「どうやってカルト宗教のことを?」
美波は、やっとの事で質問した。
「翔悟が手がかりを残してくれました。無茶をして、翔悟は潜入していたようでした。そのおかげで、教祖のように崇められている近江院長が、巫女との間に自分の子供、救世主を誕生させようとして絢子さんの両親を殺し、絢子さんを養女に迎えた事、すべてが計画的犯行だったことがわかったんです。そして、万が一、絢子さんに子供ができなかった時には、院長たちは美波さん、貴方の誘拐を企んでいる事も翔悟は掴んでいました。だから、あの事件の後、貴方が帰ってくるまで、僕は翔悟との約束を果たすために、近江病院を糾弾し続けました。そして、美波さん、貴方が帰ってきてからは、貴方の安全を見守りながら、調査を続けてきました。翔悟は、最後まで貴方と絢子さんを心配していました。僕では翔悟の代わりにはなれないけれど、出来る限りの事はします。」
栗栖は、そこまで言うと美波の事を見つめた。
「翔悟は、・・・・・・翔悟は、もういないのね。」
美波は言うと、両手で顔を覆った。
「名刺に携帯の番号が書いてあります。用のあるときは、二十四時間いつでもかけてください。すぐに飛んで行きます。」
栗栖の言葉に、美波は何も答えなかった。
「翔悟の言ってた通り、貴方の緑の瞳は美しい。」
栗栖が言うと、美波は涙で潤んだ瞳で栗栖の事をみつめた。
「いま、全力で絢子さんがいると思われる場所を特定してます。看護士の一人の買収に成功したので、近い将来、かなり正確な場所がわかると思います。」
栗栖の言葉に、美波は黙って頷いた。
「判ったら、すぐに絢子さんを助けに行きましょう。」
栗栖は言うと、優しく笑いかけた。
「翔悟は、僕にとって弟みたいなものです。貴方が翔悟の巫女なら、妹も同じです。ただ一つ判らないのは、翔悟は絢子さんも貴方も、運命の巫女だと話してくれたんです。そんな事、ありえるんですか?」
言ってしまってから、栗栖は気まずそうな顔をした。
「昔、翔悟の先祖である飛翔(かける)には、彩音(あやね)という巫女が定められていました。でも飛翔は事故で亡くなり、彩音も後を追うようにしてなくなりました。彩音には、生まれる前に亡くなった双子の妹がいて、彩音の中に妹も生きていました。彩音が死んだ時、運命は彩音とその妹も飛翔に結び付けてしまったんでしょう。何世代も経ってから、翔悟は飛翔の運命の巫女、彩音を探し始め、私を見つけました。それから、彩音の運命を継ぐ絢子を見つけました。最初は、わけがわからなくて、でも翔悟は、次のチャンスを待つって私達の前から姿を消しました。」
美波が話すと、栗栖は無言で何度も頷いて見せた。
「こちらから連絡する事が出来ると嬉しいのですが、直接連絡する方法がありますか?」
栗栖が言うと、美波は自分の携帯電話の番号を栗栖に告げた。
「何かあったら、すぐに連絡をください。こちらも、わかり次第連絡します。」
「ありがとうございます。」
美波は言うと、頭を下げた。
「一緒にいる所を見られないほうがいい。」
栗栖は言うと、伝票を片手に立ち上がった。
「先に出ます。じゃあ。」
それだけ言うと、栗栖はレジの方に向かって歩き出した。
美波は、いつ頼んだのか、いつ運ばれてきたのかも思い出せない、冷え切った紅茶のカップに口をつけた。
栗栖の姿が街の人ごみに消えて見えなくなってから、美波は店を後にした。
☆☆☆
資料を片手に、家に飛んで帰った智は、とりあえず出版社に電話をかけてみることにした。少なくとも、一年弱前までは、事件の記事を掲載した雑誌を出版していたのだから、週末とはいえ、留守番係位は電話に出るだろうと考えての事だった。
しかし、調べてきた電話番号に電話してみると、すでに番号は使われていないと案内された。インターネットで検索してみたが、番号は調べてきたのと同じもので、目新しい情報を入手する事は出来なかった。仕方なく、電話番号案内に問い合わせると、東京都内だけでなく、隣接する神奈川、千葉、埼玉などにも該当する会社は登録されていなかった。
(・・・・・・・・倒産したのか?・・・・・・・・)
智は考えながら、行きつけの本屋に電話をかけてみた。
雑誌の名前と出版社を告げると、すぐに返事が返ってきた。
『ああ、あそこですか。たしか去年の秋頃かな、会社の入っていたビルが放火にあって、それ以来、出版活動を停止してますね。』
「放火されたんですか?」
智は思わず問い返した。
『ええ、同じビルに入っていた消費者金融が酷い取立てしてたとかで、その恨みのとばっちりを受けたって話でしたよ。あそこの雑誌、個人的には気に入っていたんですけどね。』
店員は残念そうに言った。
智は丁寧にお礼を言うと、電話を切った。
(・・・・・・・・口封じのために放火したのか?・・・・・・・・)
そんな事を考えながら、智は頭を横に振った。
(・・・・・・・・同じビルの消費者金融への恨みだって聞いたじゃないか・・・・・・・・)
自分を説得するように心の中で言うと、智は再び受話器に手を伸ばした。
『はい、粟野原でございます。』
すぐに有紀子(ゆきこ)の声が返ってきた。
「お母さん、智です。すいません、美波さんをお願いできますか?」
智は挨拶もそこそこに、問いかけた。
『ごめんなさい。美波、今日は外出してるの。』
「一人で出かけたんですか?」
我ながら、嫉妬深そうな響きの質問だとは思ったものの、智はすぐに切り返した。
『ええ、一人で出かけるって言ってたわ。もしかしたら、敦ちゃんが一緒かも知れないけれど。』
有紀子は言うと、智の返事を待っているようだった。
「ありがとうございます。携帯にかけてみます。」
智は言うと、電話を切ろうとした。
『智さん。美波との事、このままで良いのかしら?』
有紀子の言葉に、智は息を飲んだ。
「美波、なんてお話しました?」
智は電話を切るのを諦めた。美波が二人の破局的展開を有紀子に話してしまっている以上、有紀子がきちんとした回答を智に要求するのは当たり前のことだった。
『結婚は中止だって、私には話したわ。』
「すいません、喧嘩をしました。いままで喧嘩をしたことがほとんどなかったので、お互いに慣れてないんだと思います。僕の方は、婚約の解消、結婚式の延期といった事は考えていません。ただ、疲れていたせいか、少し感情的になってしまったせいで、美波さんの方が僕に愛想を尽かしたようです。少し時間を置いてから、話し合うつもりだったんですけど、逆に良くなかったかもしれません。」
智が言うと、有紀子は納得したようだった。
『あまり、年老いた親を心配させるものではありませんよ。』
有紀子は言うと、すんなりと電話を切らせてくれた。
智は一呼吸置いてから、美波の携帯に電話をかけたが、圏外のためつながらなかった。仕方なく、『折り返し電話が欲しい』と留守電にメッセージを残して、智は電話を切った。
(・・・・・・・・美波、どこに、誰といるんだ?・・・・・・・・)
智は、不安な気持ちを胸に、美波からの電話を待ち続けた。
☆☆☆