MAZE ~迷路~
 有紀子の話は、敦には信じられないものだった。
 さすがの敦も、美波の事件のせいで有紀子の頭がおかしくなってしまったのではないかと、心配になるほどだった。
「つまり、美波は、普通の人間じゃないって言うんですか?」
 敦は信じられなくて、ついその言葉を口にしてしまった。
「普通の人間です。」
 有紀子は怒りを顕にして、言い返した。
「私たちの家は、もともと巫女の家柄なんです。神のお告げを人々に伝える。そのせいで、未来が見える、つまり予知能力を持っていたり、人の心が読めたり、色々な力を持って生まれてくる女の子がいるというだけです。巫女はもともと人間なのですから、普通の人間です。」
 有紀子は言うと、敦を見つめた。
「この話は、智さんにはしていません。彼は、美波の力を封じる事の出来る、神官の血筋だとわかったから、美波も力を使えなくなって久しかったし、いまさら、こんな事になるとは・・・・・・。」
 そこまで言うと、有紀子は言葉を濁した。
「私も、貴方のお義母(かあ)さんも、たいした能力はありません。第六感が鋭いくらい。なんとなく、相手が考えている事がぼんやりと聞こえる感じ。でも、美波のは違うの。あの子は自分の運命の片割れに出会って、力を使う事が、コントロールする事が出来るようになってしまったの。それが、絢子ちゃん。私たちも、絢子ちゃんが養子だとわかってから、随分と時間がかかったわ。正体を探し当てるまで。でも、美波の対になる巫女だと分かって、運命だと思ったわ。敦ちゃんも見た事あるでしょ、美波と絢子ちゃん、言葉が要らないの。お互いの考えてる事、全部分かるの。」
 有紀子の話を聞きながら、敦は何度となく目にした、絢子と美波の不思議なコミュニケーションの様子を思い出した。
「確かに、あの二人、言葉を交わしてなかった・・・・・・。」
 敦が言うと、有紀子は頷いて見せた。
「美波は、一人ではそんなに力を持っていなかったの。でも、私よりも強かった。でも、絢子ちゃんと出会ってから、見る間に力をコントロールする事が出来るようになったみたい。美波には、予知能力があるの。ただし、美波が自分の事や家族、親しい人の事を知りたくないと強く思っているから、周りの事は見えないように感じるみたい。でも、敦ちゃんが大学に受かる事とか、分かっていたから、そっと教えてくれたりしたわ。でも、絢子ちゃんが亡くなってからは、力はどんどん衰えてるって言ってたわ。」
 有紀子の言葉には、悲しげな響きが含まれていた。
「美波が、絢子ちゃんの声が聞こえるって言い出したのは、日本に帰ってきて、しばらく経った頃からかしら。私が側にいるのが影響して力が強くなったのかと思ったけれど、絢子ちゃんみたいに物を動かしたりする事が出来る気がするって言ったときは驚いたわ。」
 敦は有紀子の顔をじっと見つめた。
「おばさんは、俺に信じろと言うんですね。」
「美波を理解するには必要だわ。智君は美波の力の根本を抑える事が出来るから、美波も智君といれば、やがて智君が望まない限り、力を失ってしまうと思うわ。でも、敦ちゃんとなると、話が違うわ。美波は、ずっと力を失わない生活を送る事になるわ。」
 有紀子の言葉に、敦は俯いた。
「もし、美波に逢ったら、私には出来ない事、聞けないことを聞いて欲しいの。」
 有紀子は言うと、敦の手を握った。
「確かに、事件の間際、美波は智のことを避けてた。不自然だと思ってた。それって、おばさんの言う、力と関係があるから・・・・・・。」
 敦は言いながら、自分でも信じていないことを事実と仮定して話しているのが、少し滑稽に感じられた。
「信じてないのは、分かっているわ。自分の事を滑稽だなんて、思わないで。」
 有紀子は言うと、静かに湯飲みに口をつけた。
「そう、智君は、哲という名前を聞いて、美波の恋人か何かだと思っているのね。美波には自分も貴方も必要ないって言われたのね。」
 有紀子は神経を針のように研ぎ澄ませながら、敦の心の中を読んでいった。
「もう良いですよ。」
 心の中を何かがすべるように撫でて行く、そんな感じにとらわれ、敦は頭を大きく横に振りながら言った。
「嘘でも、信じてくれなくてもいいの。美波に聞いてみて欲しいの。絢子ちゃんかって。」
 有紀子の言葉に、敦はどうして良いのか分からず、頭を横に振りつづけた。
「恐れる必要はないわ。もし、美波がそうだと答えたら、私には美波を救う方法を考えられる気がするの。美波が、ただの気違い扱いされないうちに。」
 有紀子が言うと、敦は仕方なく頷いた。
「明日、聞いてみます。」
「ありがとう、この事は、内緒にしていてね。」
 有紀子が言うと、敦はもう一度、頷いて見せた。
「この事は、主人も知らないの。」
 敦が聞こうとしたとたん、有紀子が答えた。
「わかりました。」
 敦は答えると、自分のお茶を一口飲んだ。
「もし、美波が貴方は誰かと聞いたら、『翔悟(しょうご)』と名乗ったらいいわ。」
 有紀子は何もかも見透かしたように、敦に言った。
「翔悟という名前を聞けば、絢子ちゃんも美波も、驚かないはずよ。」
 有紀子の言葉に、敦はもっと詳しく聞きたいような、それでいて、もう何も知りたくないような、不思議な感覚にとらわれた。
「詳しい事は、紙に書いておくわ。明日、困らないように。」
 有紀子は言うと、優しく微笑んで見せた。
「おじさん、帰ってこないの?」
 敦は気になっていた、もう一つの事を問いかけた。
「ずいぶん心配しているみたいなの。でも、船長が船をほったらかしにして帰ってくるわけには行かないでしょう。」
 そう言う有紀子の表情が曇った。
「そうだよね。」
 敦は言いながら、船の中という隔離された環境で孤独と戦っているであろう叔父の姿を思い浮かべた。
「敦ちゃん、泊まって行かない? 姉さんには私から連絡するから。」
 有紀子の言葉に、敦はすぐに頷いた。
「母さんも心配してた。おじさんもいないし、いろいろ言う人も居るだろうからって。ただ、俺が本当の甥じゃないから・・・・・・。」
 敦は言うと、口ごもった。
「敦ちゃん、私は、一度だって、敦ちゃんが甥じゃないなんて、考えた事ないわよ。美波と結婚したいって言った時、それは私も驚いたわ。でも、もともと、従兄妹は結婚できる仲でしょ。そう思えば、不思議はなかったわ。」
 有紀子が言うと、敦は涙がこぼれそうになるのを感じた。
「宣之さんと、姉さんが結婚したときから、敦ちゃんは私の甥なのよ。」
 有紀子は言いながら、涙を必死に堪える敦の頭を軽く抱いた。
「おばさん・・・・・・。」
 泣き出した敦の言葉は、そこで途切れてしまった。
 ひとしきり敦は泣くと、いつもよりもすっきりとした表情に戻った。泣いたせいで充血した瞳も、すこし腫れぼったくなった瞼も、敦の凛々しさを損なうものではなかった。
 夕飯を作る有紀子を手伝い、敦は有紀子から美波との接し方の説明を受けた。はっきりと理解したり、心から信じられることではなかったが、それでも、敦は言葉を暗記する努力をした。

☆☆☆

 敦が病室で待っていると、検査を終えた美波が、看護士に連れられて入ってきた。
 血の気のない唇や蒼ざめたその表情は、決して手厚い看護を受けているわけではない事を物語っていた。
 あくまでも、美波は犯人と確定していないだけの重要参考人に過ぎないのだと、敦は感じた。
 美波は敦の顔を一瞥すると、落胆の色を顕にした。
「具合は?」
 敦が問いかけても、美波は何も答えなかった。
「哲に会いたいの。」
 長い沈黙の後、美波ははじめて口をきいた。
 美波の言葉に、敦はごくりと唾を飲み込んだ。
「絢子なんだね。」
 有紀子に言われた通り、静かに問いかけた。
 しかし、敦の言葉を聞いた美波は、信じられないほど機敏な動きでベッドから降りると、ベッドサイドに立ち尽くした。
「落ち着いて・・・・・・。」
 敦は言うと、美波にベッドに戻るように合図した。しかし、美波はそのままじりじりと窓の方へと後ずさって行った。
「あなた、誰なの?」
 敦の知っている美波とは、瞳の色が違うように感じた。
 敦の知っている美波の瞳は、黒真珠のように輝き、緑がかった渦を巻くように見えた。今の美波の瞳ではなかった。
 敦が迫力に圧され、口を開けずにいると、美波がもう一度口を開いた。
「あなた誰?」
「翔悟だよ、分からない?」
 敦は慌てているのがばれないように、静かに言った。言いながらも、背中を冷や汗が流れていくのを感じた。
「翔悟・・・・・・。翔悟なの?」
 敦が名乗ると、美波の様子は驚くほどに静まっていった。
「静かにベッドに戻って。他の人が不思議に思わないように。さあ、絢子。」
 敦は自分の演技がばれない事を祈りながら、再び話しかけた。
 美波は敦の指示に従い、ベッドに戻って座った。
「絢子、絢子なんだね?」
 敦が言うと、美波は静かに頷いた。
「哲の事は、いまここでは話せない。まず絢子は、美波として、ここから出るのが先決だ。気が付いているとは思うけど、絢子は今、美波の体の中に入ってる。だから僕の事は、敦と呼ぶんだ。僕も美波の従兄の敦君の体を借りてる。いいね。これからは、絢子を美波と呼ぶ。これからは、絢子は美波として振舞うんだ。美波と呼ばれたら、ちゃんと返事をするんだ。良いね?」
 敦が言うと、驚くほど素直に美波は頷いた。
「わかった。翔悟の言う通りにする。」
 そう言う声も、話し方も、いつもの美波とは違っていた。
「もし、誰かが質問したら、美波として答えるんだ。ところで、美波は、今どこにいる?」
 敦が問いかけると、美波の、絢子の顔が急に蒼ざめはじめた。
「私が、美波を殺したの。」
 美波の口から発せられたその言葉に、敦は慌てて顔を美波に寄せた。
「絢子、その事は誰にも言ってはいけない。良いね。僕が助けてあげるから、その言葉は使ってはいけない。もし誰かが、その事を聞いたら、君はすぐに意識を失うんだ。良いね。誰にも、その事に関して答えてはいけない。」
 敦は自分でも驚くほど、『翔悟』という役をうまく演じていた。
「わかった。翔悟の言う通りにする。」
 絢子は言うと、何度も頷いて見せた。
「また、逢いに来る。良いね。」
 敦は言うと、笑って見せた。
 ちょうどその時、ドアーが開いた。
「面会時間は終了です。」
 看護士の声が敦を追い立てた。
「じゃあ、また。」
 敦が言うと、美波は無邪気な笑顔で手を振った。
 敦は、美波の姿をした絢子に見送られながら部屋を後にした。


 近くの公園まで歩いて行った。公園の入り口には、昨日と同じで、移動式のコーヒースタンドが出店していた。
 敦は、ホットコーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れてもらうと、カップを片手に智が座っていたのと同じベンチに腰を下ろした。
 美波の前ではうまく振舞う事が出来たが、建物を出てからは足が萎えてその場に座り込んでしまいそうだった。
 火傷しないように、すするようにしてコーヒーを飲むと、敦は大きなため息をついた。

(・・・・・・・・本当にうまくいったんだろうか・・・・・・・・)

 敦は答えの出ない迷路で、真っ黒な天井を見上げているような気分だった。
 不安な気持ちを誤魔化すように、敦はコーヒーを飲み続けた。

(・・・・・・・・そうだ、早くおばさんに報告しなくちゃ・・・・・・・・)

 敦は気を取り直すと、ベンチからゆっくりと立ち上ると、カップをゴミ箱に捨ててから、そのまま駅を目指して歩いて行った。

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