MAZE ~迷路~
 二人は地図を片手に病院内を進んでいった。病院の中は、道に迷いようがないくらい、きちんとどこに行くにも道順が看板と、床のテープで表示されていた。しかし、二人が目指す特別病棟への道順は、看板もテープの表示もなく、院内見取り図として掲示されている案内板にも載っていなかった。
「もしかして、これかしら。特別病棟って・・・・・・。」
 廊下の角の案内図に、今まで見たことのない建物が記載されているのに、美波はすばやく目を止めた。
「方向はあっていますね。パスコードが切れるまで、後七分。」
 時計を見ながら栗栖は言うと、手にした地図と見比べながら、先に立って進んでいった。
 診察時間を過ぎた病院内は、どこも真っ暗で気味悪いほどだった。一般入院病棟への入り口は、救急の入り口の側から分かれていたので、診察時間外にこの辺りを歩くとしたら、懐中電灯を片手にした看護士、ガードマンか、美波たちのような招かざる客しかいないのだろうと、美波は思った。

(・・・・・・・・ティンク、答えて。いま病院に来てるの・・・・・・・・)

 美波は心の中で、絢子(あやこ)を読んだ。

(・・・・・・・・ティンク、力を貸して、貴方のところに行きたいの・・・・・・・・)

 何度も地図を見ながら、二人がたどり着いたのは、まるで金庫の入り口のような、厳重な鉄格子のはめられたドアーの前だった。
「『関係者以外の立ち入りを禁止する』か、ここらしいな。」
 栗栖は呟くと、美波にパスコードを渡すように合図した。
「はい、これです。」
 美波は、パスコードの書かれた紙を栗栖に渡した。
「間に合ってくれ。」
 栗栖は呟きながら、パスコードを入力していった。
「あと一分。」
 美波は時計を見ながら、栗栖に声をかけた。
「一体、何桁あるんだ。」
 栗栖は毒づきながら、最後の一桁を入力した。
 パスコードを入力するための、キーパッド脇のインディケーターが、栗栖の入力と共に赤から緑色にかわった。それと同時に、まるでエアーが抜けるようなプシューっという音と共に、大きな頑丈そうなロックの外れる音も聞こえてきた。
「あと、二時間四十五分でこのゲートから出てこないと、出られないって事ですね。」
 美波は言うと、もう一度、時計に目をやった。時計は午前一時半を指していた。
「さあ、行きましょう。」
 栗栖は言うと、鉄格子のはまったドアーを開けた。
「これじゃ、金庫だ。」
 栗栖のささやくような声が、とても大きく聞こえて、美波は思わず人差し指を唇の前に立てて見せた。
「大丈夫。」
 栗栖は言うと、病棟の中へと進んでいった。


 鉄格子の中とは思えないくらい、特別病棟の中は豪華なつくりをしていた。
 どう見ても、床は大理石張りのようだったし、壁も病院独特の真っ白ではなく、高級そうな壁紙が張られていた。入ってすぐの受付と思えるカウンターも、黒光りする上等なものだった。
「へえ、これが特別病棟かぁ。でも、ただライブストックを置いておくだけにしちゃお金かけすぎだよな。すると、カルトの持ち物って事になるのかな。」
 栗栖は、中の様子を窺がいながら呟いた。

『美波、美波。来てくれたんだね。』

 突然、美波の耳に絢子の声が聞こえた。
「ティンク。」
 美波は、思わず声にして呟いた。
「絢子さんの声が聞こえたんですか?」
 栗栖は驚いたように、美波の事を見つめた。
「ええ、いま聞こえました。かなり近いんだと思います。」
 美波は言うと、絢子に呼びかけてみた。

(・・・・・・・・ティンク、教えて、どこに居るの? そこからは何が見えるの?・・・・・・・・)

『真っ白い天井。ドアーがある。窓も。きっと、鳥がたくさん来るから、大きな木があるんだと思う。枝の揺れる音もする。』

 絢子の言葉に、美波は窓辺に走り寄った。
 窓の外には、見上げるほどの大木が植えられていた。

(・・・・・・・・木の葉がすれる音も聞こえる?・・・・・・・・)

『うんと近くに。でも、見たことはないから、木の方が低いんだと思う。ああ、もっと力があったら、美波を迎えに行かれるのに。体が重くて・・・・・・。』

 絢子の声は、いまにも途切れてしまいそうだった。

(・・・・・・・・待ってて、いま行くから。無理しないで・・・・・・・・)

 美波は心の中で言うと、栗栖の方に向き直った。
「栗栖さん、この木のてっぺんって、この病棟の何階くらいだと思いますか?」
 突然の美波の質問に、栗栖は要領を得ないようだった。
「というと?」
「ティンクは、木のてっぺんよりも上のフロアーにいるんです。」
 美波が言うと、栗栖の顔から血の気が引いていった。
「いまも、こうしている間も、絢子さんの声が聞こえるんですか?」
 栗栖があまりにも当たり前な事を質問するので、美波は怪訝におもったものの、『もちろんです』としか答えなかった。

『美波、きっと、きっと五階か六階だよ。この前、看護士がエレベーターを使わせてもらえないから、上がるのが大変だって廊下で話してた。』

(・・・・・・・・わかった。五階から見てみる。近くに行ったら教えて・・・・・・・・)

「栗栖さん、やっぱり五階か六階です。階段で行きましょう。」
 美波は言うと、今度は先に立って階段を登り始めた。その後ろから、怯えたような表情の栗栖が続いた。


 美波は一気に五階まで登ると、階段の上で立ち止まった。

(・・・・・・・・ティンク、いま五階よ・・・・・・・・)

『美波、すごく近くに感じる。』

 絢子の言葉を受けて、美波は階段の上を見上げたが、階段のつくりが今までの階と違う事から、美波はそのまま五階を進み始めた。
 床の大理石の模様は、白と黒の幾何学模様だったが、薄暗い中で見るせいか、まるで美波をフロアーの奥へ奥へといざなっているようだった。
 廊下に面した扉には、『理事室』、『理事長室』などといった、名札が取り付けられていた。

(・・・・・・・・本当にここ病室があるのかしら・・・・・・・・)

 美波は不安な思いのまま、さらに先へと進んでいった。
 役職や肩書きの並んだ扉の中に、『院長室』という札を見つけた美波は、ドアーにそっと耳をあてて中の音に耳を澄ませた。しかし、ドアーが厚いせいか、無人なのか、中からは何も音が聞こえてこなかった。
 『院長室』の前を通り過ぎ、隣の部屋のドアーの前まで来た美波は、雷に打たれたような衝撃を感じて立ち止まった。

(・・・・・・・・ティンク、ティンクがいる。ティンク!・・・・・・・・)

 もう少しで声に出して叫びそうになりながら、美波はドアーの方に向き直った。

(・・・・・・・・ティンク、ここね。ここなんでしょう・・・・・・・・)

『美波、来てくれたんだね。』

 そう答える絢子の声は、なぜか悲しげだった。

(・・・・・・・・いま、ドアーを開けるわ・・・・・・・・)

 美波は言うと、後ろから来ているはずの栗栖の方を振り向いた。
「栗栖さん、ここです。」
 美波が言うと、かなり顔色の悪くなった栗栖は、美波のところに走り寄ってきた。
「私が開けます。」
 栗栖は言うと、ポケットからハンカチを取り出して、指紋がつかないようにしながらドアーを開け始めた。

『まって、美波。開けないで。まだ、美波に逢う決心が・・・・・・。』

 頭の中に響く絢子の声に、美波は栗栖の手の上に自分の手を乗せて止めた。
「どうしたんですか?」
 栗栖は美波の、緑色の瞳を見ながら汗をぬぐった。
「ちょっとだけ待ってください。心の準備をします。」
 美波が言うと、栗栖は何度も汗をぬぐった。
「栗栖さん、すごい汗。」
 美波は、心配げな表情を浮かべて言った。
「暖房がまだ入ってるんですね。熱くて。」
 栗栖は言うと、五階まで階段を駆け上ったにも関わらず、汗一つかいていない、涼しげな美波のことを見つめた。

(・・・・・・・・ティンク、開けるよ・・・・・・・・)

 美波は心の中で言うと、栗栖に合図を送った。栗栖は、再びドアーのハンドルに手をかけると、力をいれてドアーを開けた。


 真っ暗な病室の中で、医療用機器が発する電子音とインディケーターだけが、現実と闇の世界をつなげているようだった。
「私は、廊下で見張っています。何かあったら、すぐに声をかけてください。」
 栗栖の言葉に、美波は頷くとゆっくり病室の中に足を踏み入れた。
「ティンク、私よ。」
 美波は言うと、ゆっくりと病室の奥へと進んでいった。
病室は思っていたよりも広く、かすかな光に、ベッドの輪郭が照らし出されていた。
「ティンク、ここに居るんでしょう。」
 美波はもう一度声をかけたが、絢子の返事は聞こえてこなかった。美波の耳に届くのは、定期的に部屋に響くエアーの音と、医療機器の電子音ばかりだった。
「ティンク?」
 美波は、ささやくように呼びかけながら、更に奥へと進んでいった。
 やっとの事でベッドの近くまで進んだ美波だったが、ベッドの周りにびっしりと並べられた機械のせいで、ベッドの上の絢子の姿を見ることは出来なかった。
 美波はゆっくりと機械を避けながら、ベッドの頭の方へ回っていった。

『美波、私、言ってないことが・・・・・・。』

 絢子の声は、まるで鳴きそうな声だった。
「どうしたの、ティンク?」

『私を見ても驚かないで。』

「驚くって、どういうこと?」
 美波は問い返しながら、ベッドサイドにたどり着いた。しかし、部屋が暗いせいで絢子の姿はシルエットでしか見えなかった。

『いま、明かりつけるよ。』

 ティンクの声と共に、ベッドサイドのライトが点灯した。

☆☆☆

「美波、本当に電話してこないつもりかしら。」
 有紀子(ゆきこ)は言うと、敦(おさむ)の湯飲みにお茶を注いだ。
「かけて来るって言ったら、絶対にかけて来るでしょう。くるって言わない時は、かけて来ないかもしれないですね。」
 敦は言うと、お茶を一口飲んだ。
「それにしても、婚約してるとはいえねぇ。感心しないわ。智(たくみ)さんと二人っきりで朝帰りなんて。」
 有紀子の言葉に、敦は手を止めた。
「智?」
 思わず言ってから、敦は『心配ないでしょう』と、続けてごまかした。

(・・・・・・・・美波、智と出かけた事にしてるのか? 話が違うぞ・・・・・・・・)

「なんだか、胸騒ぎがするの。」
 有紀子が言ったとたん、電話のベルがなり始めた。
 敦が驚いて電話を見つめる中、有紀子はすぐに受話器を取った。
「はい、粟野原(あわのはら)・・・・・・。姉さん、やっぱり。私も心配してるの。敦ちゃんなら、ちゃんとガードしてくれてるわ。・・・・・・・・ええ、そう。電話、してみるわ。ありがとう、おやすみなさい。」
 有紀子は電話を切ると、すぐに美波の携帯にかけなおした。
「美波、携帯切ってるのね。留守録だわ。」
 有紀子は呟くと、今度は智の部屋の番号をまわした。

☆☆☆
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