MAZE ~迷路~
翌日、絢子は頭痛と闘いながら、再び美波の日記に目を通し始めた。
日記の日付は飛び飛びになり、内容から美波が日本に帰ってきた事が解かった。
「絶対、この智って男、美波に惚れてるな。誘い方が、ありありだよ。」
絢子は言うと、不機嫌そうにページをめくった。
何よりも、絢子が気に入らないのは、智が美波に気があることではなく、美波が智に好意を持ってることだった。
『ティンク、智と幸せになれると思う?』
美波の問いに、『男を信じると、馬鹿を見るのは絶対に、いつも女だ。』と、絢子は赤いペンで書き込んだ。
書き込みながら、絢子はふと、現在の美波のことが気になり、一気に日記のページをめくった。
最後の日記も、『親愛なるティンク』という書き出しから始まっていた。
読み進んでいくうちに、絢子は日記の日付に目を留めた。
(・・・・・・・・美波、生きてるんだ。この日記を書いたのは、一昨日。生きてるんだ・・・・・・・・)
絢子は思うと、ゆっくりと日記を読み続けた。
智の存在が気になった絢子だったが、何よりも美波の方が大切だった。
日記を読み終えた絢子は、美波に返事を書き始めた。
『愛する美波
この日記に、すぐに気がつかなくてごめん。力が簡単に使えちゃうことに、ちょっと驚いて、いろいろ試したりしてたんだよね。
とりあえず、美波の提案に賛成。
何より、美波がメインになって、起きていられるようにするべきだと思う。
私が徹夜して、倒れたら、美波が起きてられるようになるかな?
私が思うのに、もともとこの体は美波のものだし、力も美波のほうが強いはず。
なぜかって言うと、美波に逢うまで、私は物を動かす事もできなかったし、未来を見たりできなかったから、たぶん、美波のほうが力が強いと思うわけ。
というわけで、まず、美波の都合の良い時に、私を起こしてくれれば良いよ。
なんて書くと、また、おまえ、「無責任な!」って、怒るかな?
とにかく、私が言いたいのは、愛してるのは美波だけって事。
あれ、話がずれたかな。いやいや、これが本筋。浮気なんかしてないぜ。
美波の幸せが一番。当たり前の事だけど。
今日は、早く寝る事にするよ。美波が少しでも、ながく起きてられるように。まあ、秋の夜長ってくらいで、ゆっくりくつろぐ時間はあるんじゃないかと思うけど。木枯らしが吹いて、もう冬だなんて、突っ込みは、色気がないから止めてくれよ。
てなわけで、
おやすみ、ベイビー。愛してるぜ。
Aya』
書き終えてから、美波に智のことを聞けばよかったと、絢子は思ったが、それは次回にまわすことにした。
有紀子が部屋を訪れたのは、絢子が再び日記に目を通し始めた頃だった。
「あのね、これ、美波宛なんだけど。」
有紀子は言うと、バラの花束を絢子に手渡した。
「ありがとうございます。」
絢子は言うと、花束を受け取った。
琥珀に炎を溶け込ませたような、秘めた情熱を感じさせる色のバラだった。
「すごい。はじめて見る色です。」
絢子は言うと、その甘い香りにうっとりとした。
「いい香り。きっとすごく高いバラなんでしょう。誰がこんなに沢山?」
絢子は瞳を輝かせながら、有紀子のことを見つめた。
「それが、カードがないから、差出人がわからないの。」
有紀子は、智からだとわかっていたが、敢えて絢子には告げなかった。
「さすが美波。モテますね。」
絢子は得意げに言うと、笑って見せた。
「もし、絢子ちゃんがこの花、嫌いでなければ、部屋に飾っておいて欲しいの。美波のために。」
有紀子の言葉に、絢子は二つ返事で了解した。
「じゃあ、花瓶に生けてくるわ。」
有紀子は言うと、絢子から花束を受け取り、部屋から出て行った。
有紀子が出て行くと、絢子は再び日記帳を開いた。
(・・・・・・・・誰が美波にあの花を送ったんだろう・・・・・・・・)
絢子はそんな事を考えながら、日記を読み続けた。
日記の中では、美波が智にお付き合いの申し込みを受けたと書いてあった。
(・・・・・・・・まったく、男を信じちゃいけないって言ってるのに・・・・・・・・)
絢子は思いながら、『智と付き合ってみることにしたの』と、書いてある所に目を留めて、大きなため息をついた。
(・・・・・・・・でも、結局、いまの私がしてる事って、私が美波に過去を見せたみたいに、美波の過去を追いかけてるだけなんだよね・・・・・・・・)
絢子は考えると、少し寂しくなった。
あの事件以来、絢子の人生はすべて変わってしまっていた。哲との密かな交際も、哲と結婚して、二人で生活をするという甘い夢も、今から思い起こして見ると、どれも美波が遠く離れた外国に行ってしまうという、危機感から派生してるようにさえ思えた。
(・・・・・・・・私、本当に哲が好きだったんだろうか?・・・・・・・・)
心の中を埋め尽くす美波への情熱が、絢子の美波に対する深い愛情が、何よりも深いものであったことを確信させた。
(・・・・・・・・美波は、幸せだったのかな・・・・・・・・)
日記を読むにつれ、絢子は自分の失踪(すくなくとも世間が死亡と断定していても、美波の中では常に絢子は行方不明のままでいた事から)が与えた影響は、中途半端なものではないと気がついていた。
絢子が想いをめぐらせてると、有紀子が花瓶をもって戻ってきた。
「おばさん、美波、幸せだったんですか?」
絢子は、迷いながらも、有紀子に問いかけた。
花瓶を置いて出て行こうとしていた有紀子は、絢子の問いに足を止めた。
「幸せではなかったと思うわ。」
有紀子は言うと、言葉を切った。
「美波は、美波なりに、失ってしまった自分の半分を取り戻そうと、苦しんでたわ。それが、どんな完璧な代用品でも、補う事のできない損失だとわかっていながら、美波は必死に代わりを探してた。でも、それは、絢子ちゃんの代わりではなく、絢子ちゃんの事を理解してくれる人だったの。美波には、『去る者は日にもって疎く、生る者は、日にもって親し』という、世間の常識は通用しなかったのよ。絢子ちゃんは、常に美波の中で一番だったわ。それが耐えられずに、美波の元を去った男の人も多かったわ。」
有紀子の言葉に、絢子は日記に出てきた美波の苦悩を思い出した。
(・・・・・・・・あれは、相手が悪いんじゃなく、美波が相手を受け入れられなかったんだ。それも、私の為に・・・・・・・・)
絢子は思うと、涙があふれてきた。
「でも、私は、絢子ちゃんは美波にとって、一番大切な人だってわかってるから、それを理解できない人とは、美波と結婚して欲しくないと思ってるの。美波も、同じ考えよ。だからといって、不幸だったとは思いたくないわ。」
有紀子は言うと、やさしく絢子に微笑みかけた。
「不幸だったのは、絢子ちゃん、貴方だわ。どうがんばっても、貴方の失った時間、本当のご家族、恋人、そして本当の体。どれも取り戻す事はできないけど、美波と融合する事で、新しい幸せを掴んでもらいたいと、私は思ってるわ。」
有紀子の言葉に、絢子は有紀子の胸を借りて泣き始めた。
物心ついたときから、本当の親子じゃないと申し渡されていた絢子には、母に抱かれた記憶もなければ、母の胸で泣いた事もなかった。
「絢子ちゃん、あなたのお母さんになってあげるなんて、そんな烏滸がましい事、言えるほど立派な人間ではないけど。美波の母として、できることは何でもしてあげたいの。」
有紀子は言うと、やさしく絢子のことを抱きしめたくれた。
絢子は、後から思い出すと、顔から火が出るほど、恥ずかしくなるくらい、有紀子に甘え続けた。有紀子の心臓の音は、記憶の底に眠る、本当の母を思い出させ、とても懐かしく感じられた。絢子は有紀子の中に、目に見ることのできない、一族の強い絆と、深いつながりを感じたような気がした。
美波との約束を守るため、夕食を済ませた絢子は、食休みもそこそこにベッドに入った。
(・・・・・・・・美波、いつでも良いよ。私は、十分幸せだから・・・・・・・・)
絢子は、美波の事を思いながら、眠りに落ちていった。
☆☆☆
部屋に帰った智は、携帯電話をテーブルの上に置きながら、留守番電話のメッセージをチェックした。
『いつもお世話になっております。』
元気のいい花屋の店員の声に、智はすこしがっかりした。
『ご依頼の花束、本日、お届けを完了いたしました。』
最後まで聞かないまま、智はメッセージを早送りした。
『新しいメッセージは以上です。』
機械で合成した、姿のない女性の声が言うと、カチリという音と共に、留守番電話のスイッチがオフになった。
(・・・・・・・・美波が退院してから一週間になる。とうぜん、お母さんから婚約解消の話は聞いただろうし。いまさら、記念日に花を贈ったって、仕方がなかったんだよな・・・・・・・・)
智はため息をつくと、スーツを脱ぎ捨てた。
(・・・・・・・・もともと美波しかかけてこない携帯、いつまで未練たらしく持ってるんだろう・・・・・・・・)
智は考えると、携帯電話をゴミ箱の中に捨てた。
(・・・・・・・・そうだ。いっそ引っ越そう。ここに住んでるから、美波の事が忘れられないんだ・・・・・・・・)
智は、本末転倒な考えに捕らえられたまま、シャワーを浴びにバスルームへ向かった。
☆☆☆
日記の日付は飛び飛びになり、内容から美波が日本に帰ってきた事が解かった。
「絶対、この智って男、美波に惚れてるな。誘い方が、ありありだよ。」
絢子は言うと、不機嫌そうにページをめくった。
何よりも、絢子が気に入らないのは、智が美波に気があることではなく、美波が智に好意を持ってることだった。
『ティンク、智と幸せになれると思う?』
美波の問いに、『男を信じると、馬鹿を見るのは絶対に、いつも女だ。』と、絢子は赤いペンで書き込んだ。
書き込みながら、絢子はふと、現在の美波のことが気になり、一気に日記のページをめくった。
最後の日記も、『親愛なるティンク』という書き出しから始まっていた。
読み進んでいくうちに、絢子は日記の日付に目を留めた。
(・・・・・・・・美波、生きてるんだ。この日記を書いたのは、一昨日。生きてるんだ・・・・・・・・)
絢子は思うと、ゆっくりと日記を読み続けた。
智の存在が気になった絢子だったが、何よりも美波の方が大切だった。
日記を読み終えた絢子は、美波に返事を書き始めた。
『愛する美波
この日記に、すぐに気がつかなくてごめん。力が簡単に使えちゃうことに、ちょっと驚いて、いろいろ試したりしてたんだよね。
とりあえず、美波の提案に賛成。
何より、美波がメインになって、起きていられるようにするべきだと思う。
私が徹夜して、倒れたら、美波が起きてられるようになるかな?
私が思うのに、もともとこの体は美波のものだし、力も美波のほうが強いはず。
なぜかって言うと、美波に逢うまで、私は物を動かす事もできなかったし、未来を見たりできなかったから、たぶん、美波のほうが力が強いと思うわけ。
というわけで、まず、美波の都合の良い時に、私を起こしてくれれば良いよ。
なんて書くと、また、おまえ、「無責任な!」って、怒るかな?
とにかく、私が言いたいのは、愛してるのは美波だけって事。
あれ、話がずれたかな。いやいや、これが本筋。浮気なんかしてないぜ。
美波の幸せが一番。当たり前の事だけど。
今日は、早く寝る事にするよ。美波が少しでも、ながく起きてられるように。まあ、秋の夜長ってくらいで、ゆっくりくつろぐ時間はあるんじゃないかと思うけど。木枯らしが吹いて、もう冬だなんて、突っ込みは、色気がないから止めてくれよ。
てなわけで、
おやすみ、ベイビー。愛してるぜ。
Aya』
書き終えてから、美波に智のことを聞けばよかったと、絢子は思ったが、それは次回にまわすことにした。
有紀子が部屋を訪れたのは、絢子が再び日記に目を通し始めた頃だった。
「あのね、これ、美波宛なんだけど。」
有紀子は言うと、バラの花束を絢子に手渡した。
「ありがとうございます。」
絢子は言うと、花束を受け取った。
琥珀に炎を溶け込ませたような、秘めた情熱を感じさせる色のバラだった。
「すごい。はじめて見る色です。」
絢子は言うと、その甘い香りにうっとりとした。
「いい香り。きっとすごく高いバラなんでしょう。誰がこんなに沢山?」
絢子は瞳を輝かせながら、有紀子のことを見つめた。
「それが、カードがないから、差出人がわからないの。」
有紀子は、智からだとわかっていたが、敢えて絢子には告げなかった。
「さすが美波。モテますね。」
絢子は得意げに言うと、笑って見せた。
「もし、絢子ちゃんがこの花、嫌いでなければ、部屋に飾っておいて欲しいの。美波のために。」
有紀子の言葉に、絢子は二つ返事で了解した。
「じゃあ、花瓶に生けてくるわ。」
有紀子は言うと、絢子から花束を受け取り、部屋から出て行った。
有紀子が出て行くと、絢子は再び日記帳を開いた。
(・・・・・・・・誰が美波にあの花を送ったんだろう・・・・・・・・)
絢子はそんな事を考えながら、日記を読み続けた。
日記の中では、美波が智にお付き合いの申し込みを受けたと書いてあった。
(・・・・・・・・まったく、男を信じちゃいけないって言ってるのに・・・・・・・・)
絢子は思いながら、『智と付き合ってみることにしたの』と、書いてある所に目を留めて、大きなため息をついた。
(・・・・・・・・でも、結局、いまの私がしてる事って、私が美波に過去を見せたみたいに、美波の過去を追いかけてるだけなんだよね・・・・・・・・)
絢子は考えると、少し寂しくなった。
あの事件以来、絢子の人生はすべて変わってしまっていた。哲との密かな交際も、哲と結婚して、二人で生活をするという甘い夢も、今から思い起こして見ると、どれも美波が遠く離れた外国に行ってしまうという、危機感から派生してるようにさえ思えた。
(・・・・・・・・私、本当に哲が好きだったんだろうか?・・・・・・・・)
心の中を埋め尽くす美波への情熱が、絢子の美波に対する深い愛情が、何よりも深いものであったことを確信させた。
(・・・・・・・・美波は、幸せだったのかな・・・・・・・・)
日記を読むにつれ、絢子は自分の失踪(すくなくとも世間が死亡と断定していても、美波の中では常に絢子は行方不明のままでいた事から)が与えた影響は、中途半端なものではないと気がついていた。
絢子が想いをめぐらせてると、有紀子が花瓶をもって戻ってきた。
「おばさん、美波、幸せだったんですか?」
絢子は、迷いながらも、有紀子に問いかけた。
花瓶を置いて出て行こうとしていた有紀子は、絢子の問いに足を止めた。
「幸せではなかったと思うわ。」
有紀子は言うと、言葉を切った。
「美波は、美波なりに、失ってしまった自分の半分を取り戻そうと、苦しんでたわ。それが、どんな完璧な代用品でも、補う事のできない損失だとわかっていながら、美波は必死に代わりを探してた。でも、それは、絢子ちゃんの代わりではなく、絢子ちゃんの事を理解してくれる人だったの。美波には、『去る者は日にもって疎く、生る者は、日にもって親し』という、世間の常識は通用しなかったのよ。絢子ちゃんは、常に美波の中で一番だったわ。それが耐えられずに、美波の元を去った男の人も多かったわ。」
有紀子の言葉に、絢子は日記に出てきた美波の苦悩を思い出した。
(・・・・・・・・あれは、相手が悪いんじゃなく、美波が相手を受け入れられなかったんだ。それも、私の為に・・・・・・・・)
絢子は思うと、涙があふれてきた。
「でも、私は、絢子ちゃんは美波にとって、一番大切な人だってわかってるから、それを理解できない人とは、美波と結婚して欲しくないと思ってるの。美波も、同じ考えよ。だからといって、不幸だったとは思いたくないわ。」
有紀子は言うと、やさしく絢子に微笑みかけた。
「不幸だったのは、絢子ちゃん、貴方だわ。どうがんばっても、貴方の失った時間、本当のご家族、恋人、そして本当の体。どれも取り戻す事はできないけど、美波と融合する事で、新しい幸せを掴んでもらいたいと、私は思ってるわ。」
有紀子の言葉に、絢子は有紀子の胸を借りて泣き始めた。
物心ついたときから、本当の親子じゃないと申し渡されていた絢子には、母に抱かれた記憶もなければ、母の胸で泣いた事もなかった。
「絢子ちゃん、あなたのお母さんになってあげるなんて、そんな烏滸がましい事、言えるほど立派な人間ではないけど。美波の母として、できることは何でもしてあげたいの。」
有紀子は言うと、やさしく絢子のことを抱きしめたくれた。
絢子は、後から思い出すと、顔から火が出るほど、恥ずかしくなるくらい、有紀子に甘え続けた。有紀子の心臓の音は、記憶の底に眠る、本当の母を思い出させ、とても懐かしく感じられた。絢子は有紀子の中に、目に見ることのできない、一族の強い絆と、深いつながりを感じたような気がした。
美波との約束を守るため、夕食を済ませた絢子は、食休みもそこそこにベッドに入った。
(・・・・・・・・美波、いつでも良いよ。私は、十分幸せだから・・・・・・・・)
絢子は、美波の事を思いながら、眠りに落ちていった。
☆☆☆
部屋に帰った智は、携帯電話をテーブルの上に置きながら、留守番電話のメッセージをチェックした。
『いつもお世話になっております。』
元気のいい花屋の店員の声に、智はすこしがっかりした。
『ご依頼の花束、本日、お届けを完了いたしました。』
最後まで聞かないまま、智はメッセージを早送りした。
『新しいメッセージは以上です。』
機械で合成した、姿のない女性の声が言うと、カチリという音と共に、留守番電話のスイッチがオフになった。
(・・・・・・・・美波が退院してから一週間になる。とうぜん、お母さんから婚約解消の話は聞いただろうし。いまさら、記念日に花を贈ったって、仕方がなかったんだよな・・・・・・・・)
智はため息をつくと、スーツを脱ぎ捨てた。
(・・・・・・・・もともと美波しかかけてこない携帯、いつまで未練たらしく持ってるんだろう・・・・・・・・)
智は考えると、携帯電話をゴミ箱の中に捨てた。
(・・・・・・・・そうだ。いっそ引っ越そう。ここに住んでるから、美波の事が忘れられないんだ・・・・・・・・)
智は、本末転倒な考えに捕らえられたまま、シャワーを浴びにバスルームへ向かった。
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