MAZE ~迷路~
 目覚ましの音に、しぶしぶ目を開けた絢子は、大きな伸びをしながら上半身を起こした。
 カーテン越しの朝の光は、いつもよりまぶしく感じられ、とてもいつもより早く布団に入った翌朝という感じはなかった。

(・・・・・・・・なんだっけ。えっと、そう、モモの世界だ。時間がどんどん盗まれちゃって、どうやっても余裕がないんだ。なんだか、寝てる時間を誰かに使われている気がする・・・・・・・・)

 絢子は、頭の中で眠気の言い訳を考えながら、仕方なくベッドから降りた。

(・・・・・・・・え、日記帳。しまっておいたはずなのに・・・・・・・・)

 絢子は驚くと、すばやく日記帳を机の引き出し奥にしまいこんだ。

(・・・・・・・・着替えて降りなきゃ。おばさんが朝食つくって待っててくれてる・・・・・・・・)

 絢子は考えながら、パジャマを脱いだ。
 昨日の、不埒な欲望が鎌首をあげ、絢子は美波の素肌を見ながら、ひとりで頬を赤くした。

(・・・・・・・・見るだけなら、罪はないよな・・・・・・・・)

 絢子は後ろめたさに苛まれながらも、鏡台の前に立った。
 豊かな胸のふくらみと白い素肌に、絢子は自分の中の男が欲情していくのを感じた。

(・・・・・・・・絶対、美波がいたら、欲求不満で襲い掛かっちゃう。美波の体に入ったのは、賢明だったかもしれない。まちがって、男の体なんかに入ったら・・・・・・・・)

 絢子は考えると、恐ろしくなって頭を激しく横に振った。

(・・・・・・・・美波、前よりグラマーになった・・・・・・・・)

 絢子は考えながら、胸のふくらみに目をやった。

(・・・・・・・・恋人、いるのかな。その男、美波の体に触ってるんだろうか・・・・・・・・)

 激しい嫉妬が、絢子の中に湧き出し始めた。
 絢子の頭の中で、将臣に抱かれる自分の姿に美波の姿が重なった。

(・・・・・・・・絶対にゆるさない。男が美波の体に触れるなんて・・・・・・・・)

 そんな事を考えていた瞬間、『開けるぞ』という声と共に、部屋のドアーが開いて敦が姿を現した。

「見ちゃ駄目!」
 絢子は叫ぶと、手当たり次第に、敦に物を投げつけた。
「わっ!」
 驚いた敦は、慌てて外に出ると、ドアーを閉めた。
「わ、悪い。」
 美波の裸体を反芻しながら、敦は言った。
 絢子は慌てて服を着替えると、思いっきり激しくドアーをあけた。その衝撃で、敦は部屋の中に転がり込んできた。
「なに美波の裸反芻してんだよ、このスケベ!」
 絢子は、開口一番にそう言った。
 美波の顔と、絢子の口調のミスマッチに、敦は呆然として絢子のことを見つめた。
「あ、絢子ちゃん。美波は、そういう言い方はしない・・・・・・。」
 やっとの事で敦が言うと、絢子は枕を取り上げて投げつけた。
「たんま!」
 敦は言うと、さらに布団まで投げつけようとする絢子に声をかけた。
「俺、美波の裸なら、前にも見たことある。」
 敦の言葉に、絢子は嫉妬と怒りで、鬼のような形相になった。
「あ、あ。深い意味はないけど。でも、ある。」
 敦は言うと、顔を引きつらせながらも、絢子に笑って見せた。
「何で見たことあるのよ。」
 絢子は言うと、じりじりと敦ににじり寄ってきた。
 それと同時に、本棚の本がガタガタと揺れ始めた。
「ま、まえ、キャンプに行った時、シャワー室を誰かが覗いてないか、見回ってたら、変態オヤジが覗いてるのを見つけて、追い払ってから、穴を埋めようとしたら、美波が入ってて・・・・・・。」
 そこまで行った時、敦の鼻元をかすめて、一冊の本が飛んでいった。
「でも、美波に言ったら、俺だったら、別に良いって。その、昔、一緒にお風呂に入った仲だからって・・・・・・。」
 今度は別の本が、敦の額をかすめて飛んで行った。
「まったく、美波の奴。ぜんぜん、お子様なんだから。」
 絢子は言うと、ため息をついた。
 それと同時に、ガタガタと音を立てていた本は静かに動きを止めた。
「い、今のって、絢子ちゃんがやったの?」
 敦は、おそるおそる問いかけた。
「だぶん。美波と一緒になったら、すごく楽に力が使える。」
 絢子は、少し得意げに言った。
「あ、でも、それって、逆に言うと、間違って使っちゃう危険も大きいって事だよね?」
 敦は、言葉を選びながら言った。
「ちなみに、今のは、わざとはずしたの?」
 敦の問いに、絢子も首を傾げて見せた。
「良くわからない。力使うの久しぶりだから。でも、驚き。これで、痴漢なんか全部放り投げちゃえば良いや。」
 絢子のお気楽さに、敦は頭痛を感じた。

 力を使うことに目覚めた絢子は、その日は一日、力の研究に勤しみ、結局、日記帳を読むことはなかった。
 しかし、力を使う事による疲労は激しく、夕飯も食べないまま絢子は眠りについた。

☆☆☆

 目覚めた美波は、頭痛に顔をゆがめたものの、ゆっくりと起き上がると、すぐに日記帳を取り出した。
 寝る前に机の上においておいた日記帳は、丁寧に元の場所に戻されていたが、読んだ形跡も、絢子がコメントを書き足した様子もなかった。
「ああ、おなか減った。」
 美波は言うと、水以外、何も口にしていないのを思い出した。

(・・・・・・・・ティンク、ちゃんと食事してるのかしら?・・・・・・・・)

 美波は考えながら、一階に下りていった。


 台所に行ってみると、電気は消えていたが、食べ物の匂いはした。

(・・・・・・・・片付けも終わったところかぁ。もう少し、早く起きればよかった・・・・・・・・)

 美波はそんな事を考えながら、電気をつけると、食べ物をあさり始めた。
 久しぶりに食べる食事が、好物ばかりだったので、美波は零れ落ちそうな笑みを浮かべて食事を始めた。
「あれ、絢子ちゃん、起きたのか?」
 水を飲みに来た敦は、そういうと冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
「敦、いつからエビアン飲むようになったの?」
 美波は、ひじきの煮物をほおばりながら、そう言った。
「えっ、おばさんが良いって。」
 敦は、なにかいつもと違うものを感じながらも、返事をすると洗いかごの中からグラスを取り上げてミネラルウォーターを注いだ。
「敦、それ、私のお気に入りなんだから、勝手に使わないでよ。」
 美波は言うと、わかめと豆腐の味噌汁が入った椀を取り上げた。

(・・・・・・・・なんだか、今日の絢子ちゃん、妙に美波だ・・・・・・・・)

 敦は考えながら、美波の向かいに腰を下ろした。
「今朝の一件だけど。」
 敦が言うと、美波はきょとんとして敦の事を見つめた。
「別に反芻してたわけじゃなくて、美波の体に怪我がなくてよかったなぁと、思ってたわけで。」
 そこまで言った敦は、刺すような視線を感じた。
「敦、私の部屋を覗いたの?」
 美波の言葉に、敦は慌てて弁解した。
「ちゃんと、開けるぞって声かけたのに、絢子ちゃんが返事をしないから、開けたら、まさか裸だとは思わないよ。」
 敦の言葉に、美波は椀をテーブルの上に戻した。
「あ、ここは台所だから、ポルターガイストは良くない。包丁とか、刺さると死ぬからね。」
 敦は言うと、顔を引きつらせた。
「敦、また、開けるぞって言いながら、ドアー開けたんでしょう。」
 美波は、確信犯を見る目つきで敦の事を見つめた。
「えっ、み、美波?」
 敦は言うと、美波の事を見つめた。
「そんなに私の裸が見たいの? 小さい頃、飽きるほど見たでしょう。」
 美波は言うと、呆れたといった表情で敦の事を見つめた。その表情に、敦は目の前にいるのが、間違いなく美波だと確信した。
「美波だ。間違いない。絢子ちゃんじゃない。」
 敦は言うと、美波の事を見つめた。
「もう。鈍感なんだから。」
 美波は言うと、綺麗に夕食を平らげた。
「なんだか、すごく長い間、何にも食べてなかった気がする。ティンク、ちゃんと食事してるのかしら?」
 美波の言葉に、敦は美波が現実をほぼ確実に理解しているのを発見した。
「美波は、全部わかってるのか?」
 敦の質問の意味が解からず、美波は少し首をかしげた。
「それ、その癖。間違いないよ。美波だ。」
 敦は、うれしそうに言った。
「私が知ってるのは、ティンクと私が体を共有していて、敦は秘密を知ってるって事。それだけかな。」
 言いながら美波は、敦がさっき口にした、『ポルターガイスト』という言葉を思い出した。
「ねえ、ティンク、力を使ってるの?」
 美波の問いに、敦は大きく頷いて見せた。
「すごかったぜ。美波の裸を見たって、すごい剣幕で、もう少しで、鼻とおでこに本をぶつけられるところだった。」
 敦の言葉には、妙な説得力があった。
「やってみよう。」
 美波は言うと、目を閉じて意識を集中し始めた。それと同時に、台所の食器や調理器具が、不気味なハミングを唱え始めた。
「み、美波。ここでやるのは危険じゃないか?」
 敦は、及び腰になりながら声をかけた。
 次の瞬間、美波が目を開けた。緑色の炎が燃え立つような瞳に、敦は思わず息を飲んだ。

(・・・・・・・・お水が飲みたい・・・・・・・・)

 美波が心の中で呟くと、敦の前においてあったグラスがふわりと宙に浮き始めた。

(・・・・・・・・お水が飲みたい・・・・・・・・)

 美波はもう一度、心の中で呟いた。
 それと同時に、グラスは見えない手で運ばれているかのように、美波の前まで移動して、ぴたりと止まった。
 美波はグラスを手で掴むと、意識の集中を解いた。それと同時に、ハミングしていた台所の食器や調理器具たちは、何もなかったかのように静まり返った。
「す、すごい。」
 敦は言うと、腰を抜かしたかのように、椅子から動けなくなった。
「こんな力、もう必要ないのに。」
 美波は寂しそうに言うと、グラスの水を飲み干した。
 それを合図にしたかのように、治まっていた頭の痛みが、調律のずれたピアノのように、不協和音を奏でながら、美波の頭を締め付け始めた。
「無理しすぎたみたい。」
 美波は言うと、頭を押さえながら立ち上がった。
「お休み、敦。朝、起きたらティンクだからね。」
 そう言いながらも、足元がおぼつかない美波を敦は軽々と抱き上げた。
「敦・・・・・・。」
 美波は言うと、敦に体を預けた。
 敦は、美波を抱いて部屋まで行った。


 薄暗い部屋に入ると、敦は妙に胸が高鳴るのを感じた。

(・・・・・・・・やっぱり、俺は美波を愛している・・・・・・・・)

 敦は、このまま美波に口づけたい衝動に駆られたが、必死に自分を抑えると、美波をベッドの上に寝かした。
「美波は、全部服を脱いで着替える事がないから、『開けるぞ』って言いながら開けても、いっつも服着てるだろ。だから、今朝は驚いた。今度から、気をつけるよ。俺も死にたくないし。美波の部屋には、恐ろしく分厚い事典もあるし。」
 敦は言うと、笑って見せた。
「おやすみ、美波。」
「おやすみなさい、敦。」
 美波は言うと、瞳を閉じた。
 敦は、美波が静かな寝息を立てるまで、ずっとそばについていた。

☆☆☆

< 41 / 45 >

この作品をシェア

pagetop