不器用な僕たちの恋愛事情
六月二週目、水曜日。
SERIとの関係が世間の知るところとなり、出来れば静かに暮らしたい十玖の胃が、キリキリ痛くなる日々だ。
第三者から――――高橋からバレるよりも、公表した方がいいとの見解だった。
A・Dのトークってだけでも重荷に感じるのに、そこに今度はSERIの従弟とまで追加された訳だ。
基本、目立ちたくない。
今更もう無理な話だが。
広告看板を飾り、雑誌にも掲載されてしまっては、逃げようもない。
憔悴しきった十玖の頭を美空が撫でる。
美空の部屋で、ベッドに頭を預けてうとうとしていたようだ。
彼女の手を掴み、引き寄せて抱きしめる。
「ごめん。いま寝てた」
「お疲れだもん。仕方ないよ」
十玖の前髪を掻き上げて、やんわりと笑う。
互いに見つめ合い、口づけを交わし、美空の存在を確かめるようにきつく抱きしめた。
あれから高橋は特に何もしてこない。
美空への嫌がらせも、いまは落ち着いているようだ。
「タロさんにも紹介しないとね」
慎太郎と会わせる約束を、まだ果たせていないのが気がかりだった。
十玖の心音を聞きながら、「落ち着いてからでもいいよ」と呟く。
美空の髪を指で梳いて、背中を抱きしめる。
「何かごめんね。周りが騒がしくて」
「あたしは平気。十玖の方が大変でしょ?」
記者会見の後から、ライヴには冷やかしが増えた。そのせいで、ファンが入れなくなる事態も発生しており、それをカバーするために、顔見知りのファン限定のライヴを増やしていた。
今日は、ライヴハウスが確保できなかったため、やっと休めたのだ。
久しぶりに美空とゆっくり出来る時間。
聞かなければならない事がある。
腕の中で体を預ける美空に。
「生理…きた?」
しばらく間をおいて、「まだ」と答えた美空の声は、少し震えていた。
「でも遅れてるの三日だし、違うかもしれない」
「そう言うのって、いつ頃はっきり分かるもの?」
「予定日より一週間以上たってから、検査は可能みたい」
「不安にさせてごめん」
今の状況じゃ傍にいてあげる事も難しい。ただでさえ、嫌がらせも有り、情緒不安定になりやすいのに。
病院に付き添う事だって無理だ。
それでもと思ってしまうのは、エゴだろうか?
「ねえ。正直に答えて。もし…妊娠してたら、美空はどうしたい?」
受け入れなきゃいけないと美空は言ったが、産むとは言ってない。簡単に決められる事でもないだろう。この数日、ずっと不安だったはずだ。
十玖は傍にいてあげられないのだから尚更。
「妊娠が学校に知れたら、きっと退学になる。色んなこと諦めなきゃならなくなるだろうし、美空ばっかり割食うかもしれない。でも僕はずっと一緒に居たいし、どんな事だってサポートするつもりだけど、美空が決めて。後悔しない様に。僕はそれに従うから」
そう言ったものの、知らず体が震えてくる。
彼女に傷なんて付けたくないけど、原因は自分にある。
美空は、凛とした顔で十玖を見た。
「バカね。どっち選んでも後悔するに決まってるじゃない」
「……」
「なら十玖が喜ぶ方を選ぶわ」
呆然とした。
最悪の答えばかり想像していたから。
「……本当に?」
「うん」
「良か…たぁ。その時は、いろいろ頑張るから」
「いろいろ?」
「まずはみんなに怒られるよね。美空のお父さんには半殺しにされるかも」
「ははっ」
「それ以上にヤバいのは母さんか。死んだら骨は拾って」
「縁起でもない。やめてよ」
本気で嫌がる美空を抱きしめて、くすくす笑う。
まずはこれで一つ安心した。
「あと四日か」
「…うん」
心配事は山積してる。高橋の事にしてもそうだ。
確証はないけれど、十玖は高橋の事を話すことにした。
*
六月三週目、月曜日。
学校とライヴハウスと家をグルグル回る生活が、ようやく体に馴染みはじめた。
今日もライヴはあるのだが、その前に確かめる事がある。指折り数えてこの日を待っていた。
十玖と美空は学校を飛び出し、一目散に斉木家に帰宅した。
十玖は廊下でうろうろして、美空を待っている。
しばらくして美空が、顔をしかめて出て来た。手には数日前に買った妊娠検査薬。
「美空? どうだった?」
「う――――ん…?」
検査薬を凝視したまま、美空は首を傾げてる。
十玖が脇から覗き込んだ。
窓にマゼンダの縦線が二本現れてる。
「これってやっぱり出来てたってこと?」
「分からない」
「でも線が出てるよ?」
「なんだけど」
そう言って美空は説明書を十玖に見せた。
線がはっきり出ても出てなくても、専門医の診察を受けるように書かれている。そこを指差して、
「線が滲んではっきりしてない場合は、どちらとも言えないような事書いてあるでしょ。時間を空けてもう一度検査するか、病院に行くように書いてある」
検査薬の窓をもう一度確認した。
確かに一本は色が薄くて滲み、はっきりしてない。
「えーっ。なんで勿体ぶってんのぉ」
「あたしに言わないでよ」
調べる時期が早かった場合と、自然流産の可能性も書かれている。
受精卵に問題があった場合、それと気づかないうちに流産して、普通に生理が来ることは意外に多い。自然淘汰されて行くのだ。
「しばらく置いて、また調べる? それとも病院に行った方が良いのかな?」
「……」
「今晩、有理に話すよ。僕は付いて行ってあげられないけど、ちゃんと調べて貰った方が良いよね?」
美空の手を握る。彼女は十玖の目を見て頷いた。
玄関で鍵を開ける音がする。振り返ると晴日と目が合った。
「そんなとこで何突っ立ってんだ?」
十玖は後ろ手に合図して検査薬を受け取り、ポケットにしまう。
「今から家に帰るところだったんですよ。着替えに戻らないと」
「? そっか」
晴日と入れ違いに靴を履き、上がり框に置きっぱなしだったカバンを手にした。後ろを振り返り「夜電話するから」と手を握り、すっと離れる。
不安げな美空から離れるのは、とても後ろ髪が引かれる思いだった。