不器用な僕たちの恋愛事情


 六月三週目、火曜日。

 有理は登校した十玖を待ち構えており、付いて来いとばかりに顎をしゃくる。美空にも視線を寄越し、太一たちに「ちょっと行ってくる」と言って、有理に続いた。

 拳を握り、唇を噛んで睨む高橋に二人は気付かなかった。

 保健室に入り、有理は二人に座る様に促し、自分もどっかりと腰かける。そして大仰なため息をついた。

「全くあんたたちは」

 有理は十玖に向かって手を出した。彼はポケットから、ハンカチに包んだ検査薬を取り出し、有理に手渡す。ハンカチを開き、結果を確認してまたため息をついた。

「微妙ね。…今度の土曜日に、一緒に行きましょ。先輩に見て貰うわ」

 検査薬から美空に目線を移し、安心させるように微笑んだ。

「その先輩って、女医? 男の医者には診せないでよ」

 有理は十玖の頭頂を平手で叩き、

「誰のせいなの?」
「僕だけど、それとこれは別。絶対女医じゃなきゃダメ」

 美空を抱きしめ、有理に背中を見せて肩越しに睨む。

 男の医者にヤキモチを妬いてる場合か、と半ば呆れた有理が背凭れに体を預けて苦笑した。

「はいはい。わかってるわよ。女医よ女医。美空ちゃんがパニくったら困るでしょ」
「はは。良かった。お願いします」
「高本総合に連れて行くから。あそこなら、絶対に買収されないからね」

 高本総合病院。瀬里と淳弥の実家だ。

「なら自宅の方から病院に回って」
「わかってる。伯母さんには事前に連絡しておくから」

 有理は美空を見つめた。

「で。どうするつもり?」

 何が聞きたいのかわかってる。

 二人は顔を見合わせ、美空が頷いた。

「もしそうなら、退学します」
「十玖は?」
「僕一人が通えないよ」
「決めたのね。後悔しない?」

 二人は真摯な眼差しで有理を見て頷く。

「勉強がしたかったら、大検って手も有りますし」

 開き直った美空の微笑みに、有理は「そっか」と呟いた。



 体調不良と称して、体育を見学してた美空の隣に苑子が腰かけた。

 女子はいまバレーボールの授業中だ。

「大丈夫?」

 顔を覗き込んでくる苑子。美空はニヤッと笑い返す。

「本当はそんなでもないんだ。ちょっと足の調子は悪いけど」
「なら良いんだけど。今朝、有理ちゃんが待っていたようだから」
「ホント大した事じゃないから」

 ピースをする。苑子は釈然としないようだが、気付かない振りをした。

 向こうで苑子を呼んでいる。交代のようだ。

「行って」
「後でね」

 苑子は小走りでコートに向かった。

 反対側のコートで、男子はバスケットボールの試合中だ。

 ゼッケンを付けている十玖と、付けていな太一は敵同士のようだ。運動神経の申し子の十玖に翻弄されている敵方が、些か可哀想に見えた。

 次々と相手を躱していた十玖が、一気に周囲を囲まれた。ただ、動きを止められただけで、高い位置から余裕で味方にボールを回す。ボールを追い駆けて離れたところで、リング下まで走った十玖にボールが再び回り、楽勝でダンクを決めた。

 見ていた女子の黄色い歓声。

 敵方男子のブーイング。

 もしかしたら、こんな光景はもう何回も見られないかも知れない。

 結果は今週末に持ち越されてしまった。

 こういう光景を見てしまうと、間違いであればいいと思ってしまう。このまま何事もなく、学校に通って、卒業して、進学してと、他の同級生たちと同じように過ごす。

 十玖は落胆するかもしれないけど、当たり前の生活にすぐ戻れるだろう。

 自分の決断を覆すつもりはないが、心が揺れてしまうのは止められない。

 ホイッスルが鳴った。

 集合がかかり、整理体操でクールダウンし、終業のチャイムが鳴ると、即座に苑子が駆け寄って来る。すぐに十玖と太一も来た。

 

 何日もチャンスを狙っているのだが、いつも誰かに囲まれていて隙がない。

 警戒されてるのは知っている。チマチマと脅しなんて掛けないで、直接別れたくなるように仕向ければ良かった。

 役に立たない女が、また十玖の足を引っ張ろうとしている。

 それを許す十玖にも腹が立つ。

 何故わざわざ損にしかならないことを選ぼうとするのか。

 何故、分かってくれないのか。

 前を歩く十玖たち四人から離れて後を追う。

 晴日と竜助が十玖に絡んでいる。美空は少し離れて笑ってる。

 十玖の隣にいるのは自分でなければならないのに。

 駅は帰宅する学生たちで混雑していた。

 ホームに下りる階段で、誰だか知りもしない相手の背中を突いた。

 前に倒れ、更に前の人の背中を押し、その前をその前をと押し続け、将棋倒しに落ちて行く。

 振り返った十玖と目が合った。

 十玖もまた例外に漏れず、美空を庇いながら落ちて行った。



 ホームは惨状となった。

 十玖たちは後方だったが、前方にいた人たちは圧し潰されて、無事では済まないだろう。

 しばらく気を失っていたらしい。騒ぎの声に意識を呼び戻された。

 十玖の朦朧とする頭が最初に認識したのは、ホームの屋根。何かを抱え込んでる事に気が付いて意識を向けると、気を失った美空の姿だった。

 ぎゅっと目を瞑り、頭を振った。

「美空っ!?」

 返事はない。

 十玖は上に伸し掛かった人を押しやり、美空の頬を叩いた。顔をしかめたが、目を開ける気配はなかった。

「美空。目を開けて」

 隣で晴日と竜助が意識を戻した。二人ともぼうっとしていたが、十玖の血相に正気を取り戻した。

「十玖!」
「どうしよ。晴さん。美空が目を開けない!」
「落ち着け!」

 いててと首を押さえながら、十玖の首根っこを引っ張って人の山から移動した。

 美空をひたすら呼び続ける十玖。晴日と竜助も美空を呼ぶが、やはり意識はない。

「どうしよ…美空……に…妊娠してるかも知れないのに」

 縋り付くように抱きしめる十玖の呟き。思いがけない告白に、晴日と竜助は凍り付いた。

 駅の係員がホームに駆け付け、大騒ぎになってるところに晴日の驚きの声が響く。周囲の視線を集め、「A・Dじゃない?」の声に平常心を取り戻した。

 将棋倒しにA・Dの三人が巻き込まれた現場の様子を、傍観者たちが撮っている。すぐ拡散されるだろう。

 係り員たちの救出作業を横目に、十玖は美空を抱え上げ、ふらつきながら階段を上り始めた。

 晴日たちもすぐ追い駆ける。

「動かないで下さい。じき救急が来ますから」

 駅員が十玖を止めに入った。しかしそれを振り払って階段を上り、改札を抜けると、客待ちのタクシーに乗り込んだ。それに晴日たちも同乗する。

「高本総合病院! 早く!」

 蒼白になってガタガタ震える十玖の肩を、晴日がガッチリ抱く。助手席の竜助は筒井に電話をかけ始めた。

「晴、十玖、クーちゃん、俺、将棋倒しに遭って脳震盪起こした。今から病院行くけど、クーちゃんの意識がまだ戻らない。こんなんじゃ今日のライヴ無理だ。謙人にも連絡して。お願いします。……高本総合に行く」

 十玖ははっとして、スマホを取り出した。

 内線で回され、応答の声が聞こえた瞬間、十玖の切実な声が絞り出された。

「伯父さん。助けて」



 病院に着くと、正面玄関にベッドを用意して、伯父と伯母、数人のナースが待機していた。

 フラフラと足元が覚束ない十玖から美空を引き受け、急ぐ伯父を引き留めた。

「彼女、妊娠してるかもしれない」

 伯父は驚いた顔を見せたが、すぐに十玖の頭を撫でる。

「わかった」

 それだけ言った伯父を見送ると、十玖の背中に暖かい手が触れた。

「あなたたちも検査しましょ。彼女は院長に任せて」

 婦長である伯母の穏やかな微笑み。十玖の目から涙が零れた。

「人が伸し掛かって、圧し潰されたんだ。守り切れなくて。どうしよお」

 滂沱の涙。

 伯母は背中を擦りながら、十玖を誘って行く。肩越しに振り返って、「行きましょ」と晴日たちに声を掛けた。

 十玖たち三人の脳には異常は見当たらなかったが、三人とも数か所の打撲とむち打ちでカラーを巻かれ、一晩お泊りとなった。

 美空は間もなく意識を取り戻し、十玖は伯父に呼ばれた。

 ベッドに座っている美空を見て、安堵のため息を漏らす。十玖は伯父に勧められるまま椅子に腰かけ、美空の手を握った。

 まるで死人のような顔色の甥っ子に嘆息し、二人を交互に見やる。

「単刀直入に言うよ。妊娠はしてなかった」
「……本当に? 検査薬では反応出たのに?」
「ホルモンの関係で、陽性のような反応が出る事もあるんだよ。100パーセントではないからね。生理が遅れているのは、ストレスのせいかも知れないよ?」
「…そっ……か」

 へなへなとベッドに倒れ込む。

「十玖はどうするつもりだったんだい?」

 ベッドに頭を預けたまま、回らない首で伯父を見上げた。

「怒られるの覚悟してた。周りに迷惑かけるの分かってたけど、彼女の子ならメチャクチャ可愛がる自信あるから」
「人生棒に振っても?」
「棒に振るんじゃないよ。本心からそうしたかった」

 伯父は鼻でため息をつき、甥っ子の頭をポンポンする。

「今回の事は、家には黙っていてあげるよ。ただし。彼女が大事なら、これからは気を付けるんだね」
「…はい」
「それから彼女の容態だけど…」

 伯父の説明では、肋骨にヒビが入っているが、自然治癒で治る程度のものらしい。しばらく息するのも痛いらしいが、ほんの数日だろうとのことだった。

 あとは打撲でこちらも心配ないようだが、美空は三日ほどの入院を勧められた。

 伯父が病室を出て行くのを待ち構えていた晴日が、入って来るなり十玖の頭を殴り付けた。

「とおーく!! おまえなっ!!」

 このあと言葉が続かない。晴日は美空を見たが、やっぱり何も言えずベッドにどっかり腰かける。頭をぐしゃぐしゃに掻き混ぜて、奇声を発するとうな垂れた。

「違いました」

 晴日の言わんとするところが分かり、「すみませんでした」と頭を下げた。

「お…兄ちゃん。心配…かけてごめん」

 喋ると痛いらしく、顔をしかめる。

 あからさまにほっとした顔をし、晴日は妹の頭を抱えるように撫でた。

「驚かせるなよおぉ。この年で伯父さんとか有り得ねえし」

 十玖の心配しようで、どういう積りでいたかは察しがついていた。だから怒るに怒れなかったのだが、ほっとしたら怒りが湧いて来た。

「十玖あとで覚えてろよ」
「わかってます」

 今はお互い負傷中だ。

「何にしても、全員これで済んで良かったな」

 竜助が二人分の椅子を持ってきて、一つを晴日の所に置きながら言う。十玖たちは一様に頷いた。

 骨折でもしていたら、大穴を開けるところだった。リズム隊が欠けたら大変な話だ。

「俺咄嗟に手ぇ守ったもんな」
「あー俺も。手足やられなくて良かったよ」

 でも顔までは守り切れなかったようだ。三人とも徐々に青あざが浮いてきて、見てると痛々しい。美空の頭部は十玖が守ってくれたので、大事には至らなかったようだ。

 竜助が病院衣のポケットからスマホを取り出して、SNSを開くと美空の脚の上に置いた。

 あれだけの事故だ。しかもA・Dの四人中三人が巻き込まれた訳だから、早速拡散されて、炎上しても仕方ないのか。

 十玖は落ちる瞬間に見たことを思い出した。

「僕、犯人見たかも」

 蘇る記憶。

 無機質な眼差しで、落ちて行く様子を眺めていた。

 三人が十玖を見る。晴日が腰を浮かせたとき、筒井と謙人が入って来て、事の顛末を話し始めた。

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