鉄仮面女史の微笑みと涙
夫に2週間海外研修に行って来ますと言ったが、無言で私を睨んだだけで終わった
それからは夫に気づかれないように、荷物を少しずつアパートに運んで行った
分かってはいたが自分の荷物が少ないのを見ると、なんだか悲しくなったが、これも別居していずれは離婚するためだと思ってあまり考えないようにした


そして出発の日、海外研修に参加するメンバーは成田空港に集合していた
点呼を取り、簡単な説明をされる
チェックインを済ませ、あとは飛行機に乗るだけになった
まだ時間があったので柳沢先生に今から行って来ますとメッセージを送った
実は、まだ自分の給料が自由になったわけではないので私はお金を持っていなかった
だが昨日、先生の事務所に行った時に封筒を渡された
中身を確認すると、10万円も入っていた


「先生、ダメです。こんな……」
「2週間行くんだろ?それでも足りないかもしれないんだ。それにお金ないんだろ、あんた」
「そうですが」
「心配すんな。ちゃんと旦那とのことが終わったらそれと一緒に費用請求するから、遠慮なく取っとけ」
「先生……」
「旅行なんて久しぶりなんだろ?だったら楽しんで来たらいい。帰ってきたら、しんどいことが待ってるんだから」
「そうですね。ありがとうございます。先生」


そう、帰ってきたら、しんどいことが待ってる
だったら、研修中はそれを忘れようと思った
スマホが震え、先生から返事が来た


『行ってらっしゃい。楽しんで』


先生らしい簡潔なメッセージ
それだけでも私の心は暖かくなった
飛行機の搭乗案内がアナウンスされた
私は他のメンバーと一緒にアメリカへ出発した


今回の海外研修の行き先はアメリカ西海岸方面
いろんな国立公園を見て回り、観光地も行った
そして最終日は本場のディズニーランド
私は乗り物には乗らなかったが夢の国を見て回るだけで楽しかった
そしてホテルにチェックインし、洗濯をしてあとは寝るだけ、明日は日本に帰るとなるとだんだん緊張してきた
夫には給料の口座を変更したことはもうバレているはずだ
なのに怖いぐらいに連絡がない
連絡があっても無視するつもりだったのだが、何もないというのが本当に怖かった
ホテルの窓から夜景を見ているとスマホがなった
ビクっとして見てみると、柳沢先生だった



「はい、加納です」
『柳沢です。どうだ?楽しんでるか?』
「はい。でも、日本に帰ったら仕事が溜まってるみたいで、明日は会社に行くのが怖いです」


私がそう言うと、先生は吹き出した


『帰国したら単独行動はするなよ。アパートにもタクシーで帰った方がいい。そうだな、アパートに無事に辿り着いたら連絡くれるか?』
「はい。分かりました」
『それと、帰ったら本当にしんどいと思う』


本当にしんどい……
それを聞いて、何も言えなくなった


『加納さん?どうした?』
「もし、夫が離婚してくれなかったらどうしようかと思ったら、なんだか怖くて……」
『大丈夫。それは俺がなんとかするから』
「先生……」
『大丈夫だから』
「……ありがとうございます。先生の『大丈夫』は本当に安心します」
『そうか?』
「はい。もう大丈夫です。すいません、心配かけて」
『相変わらず……』
「はい?」
『あんたの『大丈夫』は、世界一当てにならないし、『助けて』に聞こえるよ』
「またそんなこと言って。じゃ、本当に助けて欲しい時は『大丈夫』って言います」
『おいおい。勘弁してくれよ』


先生が苦笑しているのが目に浮かんで、なんだかおかしかった


『じゃ、明日。気をつけろよ』
「はい、分かりました。帰ったら連絡します」
『ああ。それじゃ』


電話を切ると、大きく息を吐いた
明日、日本に帰る
先生は大丈夫だと言った
だから、大丈夫だと自分に言い聞かせてベッドに入った

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