鉄仮面女史の微笑みと涙
「失礼します……」


部屋に入ると皆川部長は電話中で、私に気付くと、ちょっと待っててと手で合図した
私は邪魔にならないようにと部屋の隅に立って部屋を見渡した


海外事業部は1課から3課まである
各課の課長の下にそれぞれ1人ずつ配属されていて、それをまとめているのが皆川慎一郎部長だ
この皆川部長、F社史上最速最年少で取締役に就任したという、F社では知らない人がいないだろうという有名人
その下にいる課長3人とその部下3人も、皆川部長が育て上げたので、全員優秀だというのは周知の事実
そうだ、確か第3課には永井沙耶さんという課長がいたはず
ますます私にこんな内示が出たのが分からない


「加納係長、すまない。待たせたね」
「あっ、いえ。お忙しいのにすいません」


皆川部長が有名人なのは異例のスピード出世なだけじゃない
超絶ハンサムなのもその理由だと思う


「じゃ、こっちの打ち合わせ室にどうぞ」


皆川部長と私は打ち合わせ室に入り、椅子に座った


「前原部長から内示の話は聞いたと思うが、来月一日から、加納係長にはうちの第3課の課長をやってもらうことになった。実は、永井課長が来月から急にアメリカに転勤することになったんだ。今もその準備でアメリカに行ってる」
「そう、だったんですか。でもなぜ私が永井課長の後任なのかが分からないのですが」


皆川部長はおや?という感じで片眉を上げた


「何故そう思うんだ?」
「私は情報管理部でただひたすら資料を作っていただけです。それが何故海外事業部に……」
「そのひたすら作ってた資料を見て、君に決めたんだ」
「は?」


皆川部長は椅子の背もたれに体を預け、腕を組んだ


「永井課長の転勤が決まった時、永井課長が自分の後任に君を指名した。第3課の宮本もそれに賛成した」
「……ますます意味が分かりませんが?」


皆川部長の言うことを要約するとこうだった


永井課長は私が作った資料は分かりやすくて、しかも出来上がるのが早いと言ってくれたらしい
その部下宮本くんは、元マーケティング部で、頻繁に情報管理部に資料を依頼していたので、私のことを知っていた
それを聞いた皆川部長は、わざとやっかいな資料を情報管理部に依頼したというのだ


「もしかして1週間前の、あの資料ですか?」
「そう、その通り」


1週間前、海外事業部から依頼された資料は本当になんというか、イジメですか?というくらいに事細かに指示されてる上に膨大な量で、挙げ句の果てには締め切りは3日後という無理難題だった


「やっかいな依頼は全て君が担当になるとは聞いてたからね。でも、悪く思わないでくれ。本当に必要な資料だったんだ。だがあんなに正確に、しかも2日で仕上げてくるとは思わなかった」


嬉しい誤算だったよと皆川部長は言った


「他のメンバーにも聞いてみたが、全員君の仕事振りは知っていてね、恥ずかしながら君の事を知らなかったのは、海外事業部で僕だけだったよ」


皆川部長はそう言うと、ははっと笑った


「君の履歴書を見ると留学経験もあるから語学も堪能。しかも仕事もできる。他のメンバーの推薦もある。で、社長に直談判して、この内示が出た訳だ」
「社長に?」
「ああ」
「直談判?」
「そうだよ」
「でも情報管理部の仕事ができるからと言って……これも信じられませんけど、海外事業部の仕事ができるとは限りません」
「そんなのやってみないと分からないだろう?」


皆川部長がニヤリと笑う
それがハンサムなだけにとてつもなく怖い


「来月からよろしく、加納係長」


右手を差し出す皆川部長に、私も右手を出すしかなかった


情報管理部の仕事は、みんな同じような仕事をしているので引き継ぎという引き継ぎがないため、私は正式な辞令が出るまでの間も海外事業部で働くことになった


「加納係長、多分今まで以上に残業や出張が増えると思う。それを君のご主人は理解してくれそうか?確か、6年前に結婚してるよな?」


心配そうに聞いてくる皆川部長の言葉に、一瞬体が強張った


「加納係長?大丈夫か?」
「……はい。ちゃんと説明すれば理解してくれると思います」
「そうか……」


帰ったらちゃんと説明しなければいけない
あの夫に


私が夫にどう説明すればいいのかと考えている時に、皆川部長が、私の体が一瞬強張ったのを見逃さなかった事に私は気付かなかった
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