鉄仮面女史の微笑みと涙
懐かしい人
アパートに引っ越してから1ヶ月がたち、新しい生活もだんだんと慣れてきた
そんな日の午後、デスクワークをしていると、受付から内線電話がかかってきた


「え?母がですか?」


私の言葉に外出していなかった、皆川部長、相川課長、麻生くん、宮本くんが注目する
受付からの電話は、九州の大分県にいるはずの母が、大きな荷物を持って来ているというのだ


「え〜っと、とりあえず迎えに行きますので、そこに居てもらっていいですか?」


首を傾げながら電話を切って、皆川部長に言った


「あの、母が来てるみたいで……」
「いいから、早く迎えに行っておいで。ここに来てもらって構わないから」
「はい、すいません。ありがとうございます」


私はお礼もそこそこに一階のロビーへ向かった
自慢じゃないが、多分母は九州から、いや大分県からもあまり出たことがない人だ
先週久しぶりに実家に電話したときは何も言ってなかったのに……
一階ロビーの受付を見ると、本当に母がいた


「お母さん!」
「あ、海青……」


私の顔を見てホッとする母
私はそんな母を見て、思わず涙を堪えた
6年振りの母は、ちょっとだけ小さく感じた


「何でここにおるん?突然来るとか、びっくりするやんか」
「先週、あんたの声聞いたら、どうしてもあんたの顔が見たくなったんよ」
「話は後で聞くけん、行こう。ここじゃ邪魔になるわ」


母が持って来た大きな荷物を持って、エレベーターを待った
扉が開いて乗り込もうとしたら、なんと社長と奈南美さんが居た


「あ、どうぞ行って下さい。次のに乗りますんで」
「何言ってるんだ、高橋課長。早く乗りなさい」


社長にそう言われて奈南美さんを見ると、にっこり笑っていた
私はしょうがなく、母を促してエレベーターに乗り込んだ


「随分立派な会社やねぇ。お母さん、びっくりしたわ」
「うん、そうやねぇ」


母と喋っていると、奈南美さんが声をかけてきた


「高橋課長のお母さんなんですか?」
「はい、いつも娘がお世話になってます。あら、お腹に赤ちゃんおるんやねぇ?」
「はい、あと四ヶ月ぐらいで出産です」
「そうね。楽しみやねぇ」


母と奈南美さんが喋っているのをヒヤヒヤしながら聞いていると、今度は社長が声をかけてきた


「高橋課長、その荷物は?」
「え?あ……お母さん、これ、何が入っちょんの?」
「これね?あんたの同僚のみなさんにお土産をち思って、魚の干物とか色々持って来たんよ」
「そんなん持って来んでもいいのに」
「魚……?鯖の干物とかありますか?」


意外なことに、社長が干物に興味を持った


「はい、ありますよ。あと、鯵もありますけん」
「いいですねぇ。それ、私にも頂けますか?」
「もちろん、いいですよ」
「じゃ、遠慮なく頂きます。高橋課長、後で届けてくれるか?」
「……はい」


そうこうしているうちに、やっと15階に着いて、エレベーターを降りた
社長と奈南美さんはにっこり笑って手を振っていた
海外事業部に入ると、母はみんなに頭を下げた


「いきなり来て、大変すいません。海青の母です。いつも娘がお世話になってます」


頭を下げる母に恐縮したのか、みんな口々にいいえと言ってくれた


「部長の皆川です。遠いところお疲れでしょう?少し休んで下さい。高橋課長、その荷物は?」
「あ、これ……母がみんなにと持って来たみたいで……」


とりあえず、打ち合わせ室でその荷物を広げてみると、よくこんなにたくさん一人で持って来たなというぐらい、海産物がたくさん入っていた
みんなそれを見て感心していた


「そうや、海青。さっき、エレベーターで会った人に、鯵と鯖の干物持って行って来なさい」
「お母さん、さっきの人、うちの会社の社長なんよ?」
「あら、そうね?じゃ一緒に居た、お腹の大きいえらい別嬪さんは秘書さんね?」
「そう。社長、こんな干物食べるんやろか?」
「でも、持って来てち言いよったんやけん、持って行きなさい。それと、その秘書さんにもこれ持って行きなさい」


そう言って母は私に、ちりめんじゃこをポンと渡した


「妊婦さんには、カルシウムや」


そう言ってドヤ顔している母にみんな笑った
そんな母に呆れながらも言った


「お腹が大きいえらい別嬪の秘書さんの旦那さんがそこにおるけん、大丈夫っちゃ」
「え?そうなん?あら〜旦那さんもえらいハンサムさんやねぇ」
「ありがとうございます。ちりめんじゃこ、頂きます」
「どうぞ〜。それより、海青。早く干物を社長さんに持って行きなさい」


母に急かされるように言われ、みんなも行ってくれば?と言うので、干物とその他にも色々持って、秘書室に行った
奈南美さんに海産物を渡して、急いで海外事業部に戻ると、神崎課長と木下さんが戻って来ていて、母とみんながお茶を飲んで和んでいた


「お母さん、何でいきなり来たん?連絡くれれば良かったに……」
「6年間、何も連絡せんかったあんたに、言われたくないわ」


母の言葉に私は何も言えなかった
みんなも心配そうに見ている


「そんなに辛けりゃ帰ってくれば良かったんよ。それやにあんたは……そんなにお父さんとお母さんが頼りなかったんね?」
「え?」
「結婚の挨拶にも来ん男と一緒になったって、先が見えとるわ。いつもお父さんと言いよったんよ。『早く帰って来りゃいいのに』って。あんたは辛抱強い子やったけん、我慢しとるんやないかっち思いよったんよ?」
「お母さん……」
「海青。お父さんもお母さんもあんたを不幸にする為に育てて、家から出したわけじゃないんやけんね?今度はちゃんと幸せになりなさい。それと、辛かったら帰って来なさい。分かった?」
「……うん」
「とにかく……あんたの元気な顔が見られて良かった。安心したわ」
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