ウラオモテ
 私はフルートと楽譜の入ったファイルと譜面台をいつもの棚から取り出して、美果と一緒に準備室を後にした。すると入れ違いに、麻由が私たちを横目でほんの少し見ながら、飛び跳ねるようにして準備室に飛び込んでいって、川本先生にまとわりついていった。陽子せんせー、って猫なで声を出しながら。あからさまに私たちを伺っていたと言わんばかりに。
「また……」
 美果が小さく呟いた。不快感が込められた呟き。麻由が私に来なかっただけ、まだ良かったのかもしれない。まばらではあるけれど音楽室に人も増えてきた。
「おい、赤木」威圧的な大声。私としては麻由より苦手だ。薄ら笑いを浮かべた小野寺が準備室のドアのすぐ横に腕組みをして立っていた。
「お前、今回のテストで優子ちゃんに負けたんだってな。ハハ、ざまあないわぁ」
 憎たらしい笑い方。小馬鹿にしているつもりなんだろうけど、まるで的外れなことに気が付いていないあたりが滑稽。私は一応振り向いてあげて「だから何」と微笑み返す。悔しがってほしかったのか、彼女は少し鼻白んだ様子だった。
「ま、精々次頑張りなー。どーせまた勝てないと思うけどさ」
 私にはそう言って、今度は美果に矛先を向ける。
「美果もそんな趣味悪いのとべったりとかやめたら? 見ててキモイし」
 そう言ってさっさと準備室のほうへ姿を消してしまう。あっけらかんと言いたいことだけ言って、何かにつけて難癖つけてくる。馬鹿丸出しだと思うけど、本人は自覚しているんだろうか。それにしたって私の成績不振の噂が広まるスピードは随分と速い。たかだか一回のテストの成績で、ここまでとやかく言われるのはむしろ滑稽に思えてくる。
「わー……凄いね、さやちゃん。さすが」
 美果は小野寺の勢いに呆気に取られている風だった。ついていけない、と言わんばかりに。「あいつ関係無くね……」私は小声でそう言って、鼻で笑う。いつも皆に聞こえるように悪口を言いふらすものだから、言われている被害者たちよりも彼女のほうが白い目で見られているのだけど、まるで意に介さないらしい。
音楽室に並べられた座席の、向かって右端、前から二番目の列の机にに私たちは演奏道具一式を置く。すると今度は後輩が三人、せわしなく近寄ってくる。「先輩先輩、マコちゃん先輩っ」「やめなよ真白―」勢いの良い真白を菜々がたしなめている。いつものことで、この静止もすっかり形骸化している。そしてその二人に連れられて、薫がバツの悪そうな顔で私たちと真白の様子を交互に伺っている。
「あとそれから美果先輩もっ」
 あと、とついでのような口ぶり。悪気はないのだろうけれど、美果も苦笑い。
「噂、本当なんですかっ!」
 目を輝かせながら詰め寄ってくる。何だろう、この反応は。この子は私の一位転落を期待でもしていたのかとも思える。きっと考えすぎ、単なる好奇心のはず。
 それにしても、情報って早い。それほどの大ニュースになっているのか。
「……まあ、うん。今回のテストはちょっと、ね」
 どこまで知っているのか知らないけど、別に本当のことまで教える義理も無い。
「えええ! それマジですかぁー! マコちゃん先輩が学年トップを落としちゃうなんて、えええ!」
 答えたら答えたで、更にハイテンションになって騒がしくなる。驚き方もオーバーだ。
「先輩、気、落とさないでくださいね!」言いながら私の肩をガシガシと叩いてくる。励ましているつもりらしい。私は半ば、反射的に身をかわしてその手を払う。
「うん、大丈夫大丈夫。あんまり気にしてないから」
「そうですよー! 次もありますから!」
 私は内心、頭を抱えた。どうしてこんな失礼なことを笑顔で口に出せるのか不思議だ。しかも連続で。「先輩ガンバです!」
「真白、先輩に向かってそれ失礼」
 もっと失礼なことを言う前に、菜々が止めに入る。ワントーン落とした時の菜々の声には、普段の可愛らしさからかけ離れた凄みのようなものをよく感じる。
「あ、失礼しましたっ」真白の攻勢が止まる。
「すいません、真白がズケズケと……」菜々は可愛らしく微笑みかけてくる。
「真白たちも練習しておいでー」
 美果が大人しく、けれどきちんと告げた。
「はーい、ほら行くよ」菜々が真白の手を引いて音楽準備室のほうへ向かう。真白はまだ何事かを言いたげだったが、半ば強引に連れていかれた。
 その一歩後ろ、無言で戸惑っている薫に、私は、いっておいで、と手で合図する。すると彼女は軽く一礼して、
「私、先輩のこと応援してますから……」
 じっと私の目を見て言う。子犬のような瞳。すぐに目をそらして、真白たちの後を追っていった。薫は自分のできることを真面目に頑張って、ああやってグループのなかに入れてもらっているみたいに見えて、私は少し感慨にふける。口もきかない子だったのに、いつの間にか真白たちとも仲良くなっていることが不思議と嬉しい。
 その分、彼女の期待と信頼を裏切っているような気がして、また私は少し苦しくなった。あの子は良い子な私しか知らないし、その私を信じ切ってしまっている。だからあんな心配そうに励ましてくれたのだ、たぶん、きっと。
「ねえ美果、今日はパート練にする?」
 フルートの頭部管をケースから出す。薫と美果が合わせられる日はあまり多くもないことだし。
 けれど、美果はうなずかなかった。
「向こう、行こ」
 ――あれ、機嫌悪い? 
 美果はさっさとフルートを組み立て、譜面台を立ててその上にファイルをのせる。さっきまでここで練習する気でいたはずなのに。
「あ、うん」私も美果にならって支度を整える。頭部管の音も出していないのが少し居心地を悪くする。
 美果と私は音楽室の裏口から、普段あまり使わない北側の開放廊下へと出た。あまり陽射しがあたらないし風も通り抜けやすいから、こんな夏の日でも涼しい。吹奏楽部員以外が放課後、ここを通ることもないし、その部員の数も集まらないから、音の小さなフルートパートが練習するにはもってこいの場所だった。私たちはその廊下の突き当りをまがった先、海側と山側に挟まれた西端の、非常階段がある場所に向かった。廊下より少し開けているここは、まるで人気もないから、私たち二人にとってお気に入りの練習場所になっている。
「あの人たち、うるさすぎ」
 さっきまでの大人しい美果はいなかった。譜面台を置くなり、美果はそう言った。
「てか何あの態度。ヒトのテスト、見世物か何かと勘違いしてるんと違う? さやかも真白もさぁ、あれ絶対広めるよ。音楽室なんかいたら練習にならないって。
 真琴、やりすぎたんじゃない?」
 小さいけれど早口の鋭い声が私の耳を刺す。
「まさかあそこまで言われるとは思ってなかったし。だってたかが一回のテストの成績が悪いだけで、呼び出しまで食らうんよ? ああいう特別扱いが私嫌いなの」
 私じゃないなら、例えば小野寺がオール五〇点だったとしたら、そんな注目を浴びないはずだ。嫌がらせにしろ悪ふざけにしろ、今さら目くじらたてる人はいない。それに、
「一位陥落ってそんな面白いの……」
 ざまあないわ、とか、マジですか、とか。スキャンダルでもあったみたいな反応がいちいち面倒くさい。
「そりゃあ面白いよ。あの人たち何も知らないんだから。ホント殺してやりたい。絶対良い悲鳴あげてくれる」
 美果は一蹴する。フルートを片手に、非常階段の格子状の手すりに背を預ける。
「もうちょっと、ちょっとずつ点落としていけばまだマシだったのにさ……良いん?」
「何が?」
 私はその向かいの、廊下の手すりにもたれかかって、フルートを右手に持ちながら腕組みをした。海風が背中のほうから吹き抜けてきて心地いい。
 お互いに手すりに寄りかかって向き合う。
「だって五教科二五〇よね。平均以下なんて取ったらもう推薦もらえないんちゃう?」
「別に良い。私、東山とかうんざりだから」
「じゃあどこ行くんよ。窓谷高にでも来る?」
「そ、窓谷行く」
 即答。エリート進学校より、私らしい地元の高校に行きたい。決められた「私らしさ」じゃなくて、私が決めた「私らしさ」で楽しみたい、たったそれだけの願い。
「マジ?」
 美果が少し驚く。
「マジ」
「うわぁ……これ、また騒がれるよ。学校一の優等生が窓谷とか」
「勘違いしてるエリート連中に殺意抱いて勉強するとか、何のためにそんな地獄行望まなきゃなんないのよ」
 たぶん、前例がない。私みたいな高偏差値の生徒がいること自体も、成績上位者がわざと底辺な窓谷高に進学することも。
「……憂鬱だわ、死ねる」
 私はため息をついて、少し間をとった。話そうか、少しだけ迷ったからだった。
 結局、私は言うことにした。
「高校でもな、美果とフルート吹きたいから。一緒に窓谷行こって思った」
「……マジで言ってる?」
 いぶかし気に美果は眉をひそめる。
「そ。だって楽しいし」
 私はなんてことない、って肩をすくめてみせた。こういうことを伝えるのは苦手で恥ずかしいけど、なるべく顔に出さないように努める。
「楽しい、かぁ……」
 美果は少し、何かを考えるように俯いた。
 もしかして、歓迎されてない?
「ほら、こんな話、美果以外にできるわけないしさ……」
 言いながら頭のなかでそんな不安が、ひんやりと通り過ぎていく。そんなわけないはずだ、だって別に、この夏で一緒に吹くのは終わりなんて寂しいねってこの前も言ってたし。でも嘘だった? まさか。でも私は今はっきり言ってしまったし。「あれ、もしかして楽しくなかったりする?」何気なく聞いてみて、また不安がよぎる。何気ないにしてもストレート過ぎる。
「ううん、そうじゃないよ」
 美果は目を丸くして小刻みに首を振る――良かった。ふぅ、とひとつ息を吐く。
美果は少し笑った。
「でも良いんかなって。そりゃ私だって楽しいし、一緒に吹けたら嬉しいけどさ」
「……けど?」
「……ホントに良いの? 大学とか行けないかもよ」
 探るような言い方に聞こえた。
 美果の心配はある意味当たっている。東山からなら東大だろうと早稲田だろうと、有名ドコにもだいたい行ける。けれど窓谷となるとそうはいかない。地方大学が関の山だ。それすら難しいことも。
「うん、ホントに良い。優等生のエリートなんかもうやってらんない。私は将来より今が楽しいほうが良いから」
 今の時間の延長、たったそれだけなのかもしれない。
 美果の目は丸いまんまだ。そんなに驚くことだろうか、とまた不安になる。
「そんなうまくいくわけなんか……ううん、何か、ありがとね」
 呟き。目をそらして、私のほうを見ないままの。今さら、美果にも罪悪感があっただなんて思いたくも無いけど、これくらいなら良いのかもしれない。
 顔を上げなおした美果は、笑顔で、跳ねるようにして、手すりから身体を離した。
「さ、練習しよっか! 時間無いし!」
 唐突すぎて今度は私が面食らう。しかし今の美果は、ここに来た時の彼女とは違う美果だった。けれど、笑顔のウラにあの無表情が今も隠れているわけではないように、私には見えた。きっとこれは心からの笑顔。美果にしたって、あんまりこんな重たい話題ばかりに貴重な部活の時間を割きたくないんだろうし。今日みたいに顔を出せる日のほうが珍しい。
 うん、それに私も美果と一緒に吹いていられる時間を大切にしたい。
「練習しますかぁ。まずは基礎練な、頭部管外して」
 私の言葉に彼女は口をすぼめて不服そうにする。「パートリーダー私なんですけど」「押し付けてごめんね?」「何でこんな時だけ真琴仕切るんよ、もー」私たちはそう言いあいながら、笑いあった。美果もフルートの頭部管を外して唇に当てる。力強くてしっかりした、ぴったりとしてブレないAの音が伸びていった。私もその横に立って、目を閉じて頭部管に息を入れた。
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