さまよう爪
トイレの個室からでて洗面台の鏡で自分を見る。

自然な化粧に見せかけた厚塗りの仮面。

眠ることや食べることと違って、化粧は、「どうしても必要なもの」じゃない。

ノーメイクだって死にはしない。 実際、家の中ではすっぴんだし。

でも、気合が入るのだ。

相手への、自分なりの礼儀でもある。

わたしは口元を僅かに緩めた。

さあ。

「行くか」

鏡の中の女に呟きかけ、化粧ポーチを振り上げた。





ここに来るのも1ヶ月ぶりだ。

クラブではわたしのような格好のほうが浮く。

ステージの上で踊る派手な化粧をしたセクシーな女性ダンサー達に踊っている女の子達も丈の短いスカートで露出が高い。

彼女達を上から下まで見定めしているような男ども。

体をひっつけて踊っている人達もいれば、座ってお酒を楽しんでいる人達もいる。

お酒とタバコと香水の匂いが入り混ざっているこの空間は、シラフの今では異様な雰囲気に感じた。

真っ暗な中でミラーボールの光、青赤黄色と様々なビームライトに冷たい霧が立ちこもる。

慣れた日常生活からは、かけ離れた空間。

重低音のダンスミュージックが身体中を震わせるほど流れてくる中で、立ち飲みのカウンター席で瀬古さんを見つけたわたしは異様なほど落ち着いた。

サックスブルーのシャツを着た背中。その背中の感じをもう、覚えてしまっている自分が、すごく、シュールな気分になる。
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