ハニートラップにご用心
Side:土田恭也
千春に頭突きされた痛みからだいぶ回復してきたあたりで、呆然と彼女が出ていったまま開け放たれた扉を見つめていた。
急いで追いかけなくてはいけない。
千春の腕を確かに一度は掴んだ手を見下ろしたあと、握り拳を作った。
付き合う前、嘘や隠し事をしないようにしようといった約束を持ち出したのは自分自身だった。きっとそれは、互いの関係を良好に保つための条件なんかではない。
もう二度と同じ思いをしたくない、俺自身が傷付きたくないだけという、欺瞞だったんだ。
自分で言ったことを自分で破るだなんて、本当につくづく最低な男だと、自分でも思う。千春が俺の腕をすり抜けていったのも当然。頭突きされたこの痛みだって、彼女の心の痛みに比べたら軽いものだろう。
何よりも誰よりも、裏切られた時の痛みを知っているはずなのに――それを、結果や過程がどうであれ、彼女に味あわせてしまっていたなんて。
「……言い訳も、できないな」
千春を追いかける決心をして、スマートフォンとコートを掴んだところで、手の中でスマートフォンが震えた。
このタイミングで何だ、と思いながらロックを解除してメッセージを確認する。差出人は柊だった。
"桜野となんかあった?"
この男は、タイミングがいいと言うか、いつでも俺達のことを見透かしている。恋愛に不器用な俺達はきっと、ここまで柊の助けがなければ今頃関係が破綻していたかもしれない。
"とりあえず、桜野そっちに行かせるから家で待ってろ"
どうやら柊と千春は現在、同じ場所にいるらしい。
どうしてこういう時、俺は彼女のそばにいてあげられないんだろう。どうしていつも、その手を離してしまうんだろう。
先程まで頭の中を支配していた酷い焦燥感が少しだけ和らいで、俺は細く長く、息を吐いた。