ハニートラップにご用心
「土田恭也くん……だったかな?」
「はい」
いつもお酒を飲んで陽気に笑っている父が、珍しく素面で、真剣な顔をしている。何を言い出すんだろうとハラハラしながら父の次の言葉を待った。
「娘は渡さん!」
父が迫真の表情と声でそう言い張った瞬間、小気味の良い音を立てて父がその場に倒れた。
「お、お父さん!?」
この数秒間の情報量が多すぎて脳が処理落ちしている。
頬を押さえて床に倒れた父の目の前には、いつの間に移動していたのか右の手のひらを振りかぶる母が立っていた。
「なんてこと言うんですか、いきなり」
母は氷のような冷たい目で床に転がる父を見下ろして、吐き捨てた。先程の音の正体は母が父の頬を叩いた音だったらしい。
父は赤くなった頬をさすりながら立ち上がって、こちらに向かって歩いてくる。
「す、すまん……一度言ってみたかったんだ……」
そう言って、土田さんに手を差し出した。私の父と軽く握手を交わしたあと、土田さんは私の方を向いて笑いを堪えていた。私は彼の言わんとしていることをすぐに理解して、笑いを堪えるその脇腹に肘を入れた。
"一度言ってみたかったんです"
私が彼からのプロポーズを受けて、了承したあとのセリフだ。
……こんなところで血の繋がりを発揮しなくていいのに。