ハニートラップにご用心
「……なにするんですか……」
唇が触れ合う寸前、間一髪で土田さんと私の顔の間に滑り込ませた手で接触を防いだ。
「らしく居られる方がいいって言うから」
土田さんが喋る度にふにふにと手のひらに唇が当たる。彼の口を塞ぐような形になっているので、その声はもごもごとこもっている。
「何をどう解釈したらき、キ……こうなるんですか!?」
「キス?」
「言わなくていいですから!」
これが職場なら完全にセクハラだし準暴行だと怒りたいけれど、何しろこの人は非常に顔が良い。
それなりに付き合いのある美青年にキスを迫られて心の底から不快感を示す女性はそうそういないだろう。私もまた同じだった。
けれど恋人でもない男の人とこういうことをするのはいただけない。両親が知れば卒倒してしまうだろう。
「……一回だけ。軽いのでいいから」
「何でですか!ダメですよ!」
私の手を優しく払い除けてまた顔を近付けてくるので、私は慌てて彼の鼻先に向けて、先程払われた手とは反対の手を突き出した。
バチン、と軽やかに肌を打つ音が響いて、やらかしたと私の頭は水をかけられたかのように、一気に冷静になった。
先程までグイグイ迫ってきていた土田さんが急に静かになる。怒らせてしまったかと思いそっと彼の顔から手を離す。
彼の表情を確認しようとして――指の間をぬるりと、生温かく湿った柔らかい感覚が撫でた。
「ひっ……」
ゾワゾワと背筋が粟立って、反射的に手を引っ込めると土田さんは私の指にしたのと同じように自分の唇をぺろりと舐めて、目を細めた。
「ごちそうさま」
そう言うや否や、私をそっと床に下ろす。地面にしっかり足を着けたのを確認して、土田さんは私の身体から手を離した。
いつの間にか邪魔にならないようにとエプロンに突っ込んでいたらしいお玉を再び手に取って、土田さんは我が子を呼ぶ母親のような穏やかな声音で言った。
「ご飯よ、千春ちゃん」