ハニートラップにご用心

「――どうかした?」


突然叩かれた肩に思わず小さく悲鳴を上げてしまった。驚いた拍子に手放してしまった書類が指先をすり抜けていく。

床に落ちたそれを土田さんが拾い上げて、私に手渡す。けれど受け取ることもできずに固まっていると、土田さんは訝しげな顔をした。


「……す、すみません」

「え?なぁに?」


酷く掠れた声が出た。今にも泣きそうに瞳に膜を張りながら、私は書類を指さした。


「納期、今日の発注書が混ざってて……。どうしよう、どうしたら……」

「落ち着いて」


動揺して支離滅裂な説明をする私の肩に優しく手を置かれた。そのまま身体とデスクチェアごと土田さんの立つ後方へと回転させられ、真剣な表情をした彼の黒い瞳とぶつかった。


「お客様の方から未納品の連絡があったの?」


いつもと変わらぬ柔らかなトーンでそう言われて、私はハッとしてノートパソコンを開いてスリープモードを解除した。


「い、いえ。今日の十六時頃納品の予定なんですけど……」


チラリと、オフィスの中央にある柱に掛けられた時計を見ると現在の時刻は十三時と半刻の少し前。順次、昼休みが終わり皆午後の仕事に取りかかろうという時間だった。


「本当に発注されていないの?」

「い、今調べます」


万が一データ紛失があった時のために、この会社では情報管理には紙媒体も使っているがデータ管理を基本としている。発注、納品の有無を確認する際にはパソコンでデータを見れば一発でわかるのだ。

発注日、納品日から参照して探すが、これ一枚だけデータが丸ごと抜け落ちていた。つまりはこちらの発注ミスだ。


「……発注、されてないです」

「そう。ちょっと発注データを見せて」


身を乗り出して、土田さんがパソコンの画面を覗き込む。マウスのホイールを人差し指の先で軽く回しながら何度かスクロールをする。さっと目を通して、土田さんは口を開いた。


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