ハニートラップにご用心

「疲れちゃった、アタシ」


頬と頬が触れ合った状態で土田さんが話すから、声の振動が直に骨に伝わってくる。

聞かなくたって、大体は想像がつく。

オフィスで女性社員達から聞いた話。かつて営業事務をしていた、土田さんの旧ビジネスパートナーであり恋人だった、菅原梨紗という女性。聡明で美人で仕事もできて、誰もが憧れる存在だった。


仕事を共にするうちに結ばれた二人は誰もが憧れるカップルとなった。あの二人が別れるなんて考えられない、そう言われるほどの仲の睦まじさだったらしい。

仕事もプライベートも、何もかも順調に進んでいた中、突然菅原梨紗さんの異例の人事――営業事務から総務事務への異動が決まった。上層部の意向だという。それからほどなくして、菅原梨紗さんと土田さんは別れたらしい。


私が聞いたのはここまで。
一体会社内で何があったのか、破局したことに信じられないと言われるほどだった絆で結ばれていたにも関わらずなぜ別れてしまったのか。


目の前にいる本人に聞けば、すぐに知ることができるというのに、私にはそれができなかった。


「土田さん、私、ふざけてあんなこと言おうとしたんじゃないです」


私の身体を抱きしめる腕は微かに震えていた。大きく息を吸って、あの時言おうとしたことをはっきりと告げた。


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