ハニートラップにご用心
Side:土田恭也
長らく使っていなかった、スマートフォンにデータとして残った電話帳の三ページ目をスクロールして、その一覧の中にある一つの名前を見つめる。
情けないことに、自分で選択して決めたことなのに酷く手が震える。
俺は昔から何も変わっていない。臆病で逃げていてばかりの卑怯者だった。素直で真っ直ぐなあの子の隣に立つのに恥じないよう、変わりたいと思ったのにこのザマだなんて。
「遅れてごめんなさいね」
長らく聞くことのなかった、懐かしい声が突然背後から聞こえてきて思わずスマートフォンを取り落とした。
「こんな所に呼び出すなんて、一体何の用?」
取り落としたスマートフォンをゆっくりと拾い上げて、スーツの内ポケットにしまう。
会社内の、滅多に使うことがなく今や資料置き場と化している小さな会議室。普段は誰も近寄らないこの場所に、呼び出した相手。
「梨紗」
かつて恋人だった女――菅原梨紗。
最も、彼女が本当に俺のことを恋人だと思っていたかは不明だが。
「結構噂になっているみたいだからもう知っていると思うけど、私、結婚するの」
手入れの行き届いた栗色の髪の毛を後ろの方に払い除けて、梨紗は唇を歪めた。
確かに表情は笑っているはずなのに、どこか寂しげで冷たい。付き合っていた頃の少女のような微笑みの面影はもう、どこにもない。