寵愛命令~強引社長はウブな秘書を所望する~
私がそう言うと男は部屋をぐるりと見回し、なるほどと言った様子で二度頷いた。
六畳一間の部屋を見れば、質素な生活は一目瞭然だろう。お風呂がユニットバスだったのも、彼は知っている。
定職に就かずにひとり暮らしはなかなか大変で、切り詰められるところといったら食費が手っ取り早い。
本音を言えば、話題のスイーツやおいしいイタリアンのお店なんかを食べ歩きしてみたいし、おしゃれなOLにもなりたい。
その一心でいろいろな会社の採用試験を受けるものの、ことごとく不採用だった。
引っ込み思案な性格が災いして、面接で自分をアピールできないことも一因だとわかっている。
「安くておいしいものが作れるとは大したものだ」
嬉しさに笑みを浮かべていると、男の人は突然慌てるように立ち上がった。
「――っと、こうしている場合じゃない」
シャツのボタンを留め、置いてあったジャケットを羽織る。
「本当にすまなかった。礼はまた改めて」
そう言いながらジャケットの内ポケットをまさぐり、そこから小さな紙切れを取り出した。
「これ、一応渡しておくよ」
「あ、はい……」
反射的に受け取った紙は名刺だった。
別にいらないのにと思いながらテーブルにそのまま置き、急いで出て行った彼の背中をその場で見送った。
「やっといなくなった……」
ホッとして息を放つ。
警察の厄介になることなく事が済んでよかったとしみじみ思う。
これで不運続きは止めにしてほしい。
安堵したと同時にグウとお腹が鳴った。