宵の朔に-主さまの気まぐれ-
音楽はなく、舞う際に草花を踏むやわらかな音だけがしていた。

そして朔の耳にはとても緩やかで優しげな音が聞こえていた。

女は目を開けず、踊りに形はなく、ただただ本能のままに踊っているだけのように見えたが、紅を赤く引いた唇はやわらかく笑み、幻想的な舞いは朔の目を大いに楽しませた。


…こうして女を長い間見つめ続けたのはいつぶりだろうか――

大抵は目を逸らされたり卒倒されたりして会話もままならず終わることが多く、一心不乱に舞う女はこちらに全く気付かず、それは朔ととてもやわらかな気持ちにさせていた。


ぱしゃん


泉に住む魚が大きく跳ねた時――女は動きを止めて、翳していた扇を静かに下げた。

少し息は乱れていて、肩で何度も息をつきながらも目は開けない。

舞姫は今まで何度も見てきたことはあったが、女の舞いはその中でも群を抜いて美しく、思わず朔は小さく拍手をした。


完全に気配を絶っていたため女は大きく身体を動かして驚き、音のした方――朔の方を振り向いて表情を強張らせていた。


「誰…!」


ぞくり


女の高い鈴のような声に朔の背筋を何かがぞわりと這って身震いすると、朔はそれを妙に思いながら静かに立ち上がり、警戒している女に歩み寄った。


「美しかったから近くで見せてもらった」


ぞくり


今度は女の方が身震いをして自身の身体を抱きしめると、数歩後ずさりして朔から離れる。


「…気配が無かったわ」


「うん、邪魔をするかと思って気配を絶ってた。舞姫か?」


朔の気さくな口調に少しだけ警戒を解いた女は扇子を畳んで胸元に差すと、鼻を鳴らして笑った。


「今は、そうね」


「今は、とは?」


「私、知らない人とは話さないの。話したいならお金を払って」


「…金?」


妙な会話が続き、朔はまだ閉じている女の美しい顔をじっと見つめた。


「…見ないでよ。何よ」


「俺が今見ていると分かるのか?」


「分かるわよ。この目が見えずとも、私は心眼の力を持つ者だから」


「見えない?その目は見えないのか?」


さらに朔が一歩歩み寄る。

女が一歩後ずさる。

ふたりの攻防が続いていた。
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