宵の朔に-主さまの気まぐれ-
紙を捲る音がする。

それは寝ている自分を気遣ってくれるように慎重で、ゆっくり目を開けるとすぐに目が合った。


「起きたか。よく寝てた」


「起こしてよね…」


「お前は夜の女だからな、この時間本当は寝てるんだろう?」


「そうね。大抵はここで寝てるわ」


「?床で寝ないのか?」


「遊郭のこと?あそこは私が生きる場所だけど、安らげる場所じゃないの。みんな私に怯えてるし、近付かない。でも私を殺せない。私があそこに居ると仲間も安らげないから」


――聞けば聞くほど妙な話だが、これは結構大きな騒動に関わるものだと思った。

おそらく名家の姫君が今や遊郭の舞姫。

そして里の者はそれを隠して妖を統べる自分に助けを求めなかった――


「凶姫、会ったばかりの俺に事情を話すのは気が引けるだろうけど、何があったのか知りたい。話してくれないか」


「やっぱり私に興味あるのね?」


「ある。生い立ちから現在までお前が生きてきた道を知りたい。恐らく力になれる」


凶姫は閉じた目を朔に向けた。


この月と名付けた男が何者か分からなかったが、遊び半分ではなく真摯に話を聞いてくれようとしている姿勢は伝わってくる。


…この男なら、話しても大丈夫だろうか。

話したことで、この男に危険が及ぶのではないのだろうか?


「…」


「俺のことなら気にするな。何か危険なことになったら自分で対処できる」


「……これ以上私に関わる人たちが不幸になるのは見たくないのよ」


「俺が進んでお前に関わろうとしてるんだから、お前のせいじゃない。話してくれ」


ざあ、と風が吹き、花びらが宙を舞う。

それを見上げた凶姫は自嘲するように笑んで立ち上がった。


「凶姫」


「じゃあ今度私を買いに来て」


「買うとは?」


「読んで字のごとくよ。私と一夜を共に。とても長くなる話だから。月、あなたがここを去る最後の夜でいい」


――花びらを追うように手をあげる凶姫はまるで舞っているように見えた。

朔はそれをずっとずっと、見ていた。
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