宵の朔に-主さまの気まぐれ-
急いだつもりだったが凶姫の元に着いた時はすでに昼を過ぎる頃になっていた。

雪男たちは気を利かしてすでにその場から去っていて、さすがにもう起きて手探りで花を手折って香りを楽しんでいた凶姫の隣にすとんと座った。


「ごめん、待たせた」


「ああもう来ないのかと思ってた」


「いや、ちょっと色々あって。これ、お詫びに。一緒に食おう」


朔が手土産に持ってきた蜜柑を手に持たせると、凶姫は早速皮を剥きにかかって無邪気に笑った。


「私これ大好き!ありがとう」


…はじめて本来の笑顔を見せた凶姫に朔が少し眉を上げると、はっとなった凶姫はつんとしたすまし顔に戻ってしなくてもいい言い訳を始めた。


「何よ…果物が好きなのよ。これ、今が美味しい時期だし喜んだって別に…あっ」


力を込めすぎて皮を突き破って果実まで爪が食い込んでしまい、果汁が溢れ出た。

咄嗟に朔が着物を汚さないよう掌で受け止めると、自分の口元に持っていってぺろりと舐めた。


「…なんかいやらしい顔をしているような気がするんだけど」


「気のせいじゃないか?ほら、口開けて」


「え!?」


「着物が汚れるかもしれないから食わせてやる。ほら」


なんだか有無を言わさぬ口調についついひな鳥のように口を開けた凶姫の口に蜜柑を放り込んだ朔は、すまし顔が可愛らしい笑顔に劇的に変わる様子を見て吹き出した。


「美味しい…!」


「一番甘いものを求めて買ってきたから。はい次」


「ん…美味しい!」


本人の希望通りその身に触れぬよう蜜柑を食べさせる朔に、凶姫は紳士的な人だと感心していた。

大抵の男は結局最後は身体を求めてくる。

…死ぬと分かっていても、死なないかもしれないとたかをくくって求めてくる者も居る。


だがこのどこかの恐らく良い家の放蕩息子は違う。


「ありがとう美味しかった。月、次は私が食べさせてあげる」


朔から蜜柑を受け取った凶姫は今度は慎重に皮を剥き、朔の笑みを誘った。
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