宵の朔に-主さまの気まぐれ-
「お付きの人はどうしたの?」


「宿屋に置いてきた。後で来ると思うけどどうして」


「あんないい男侍らせてるんだもの。気にならないわけないじゃない」


…なんだかちょっとむっとした朔は、小雨が降りだしたため木の下に避難して凶姫を座らせた。

明日にはちゃんと話を聞くことができるが――凶姫はいつものように澄まし顔で着物についた露を指で弾いていた。


「確かにいい男だけど、あいつの嫁は俺の妹なんだ」


「え!?じゃあ義兄弟なのね、どうりで気心が知れてると思ったわ。残念残念」


またむっとしてどすっと隣に座ると意図せず肩が触れて凶姫が身体を離そうとした。


「ちょっと月、駄目って言ったでしょ」


「もう触れたんだから仕方ないじゃないか。俺が今日か明日死ななかったら着物越しは大丈夫ということかな」


あっけらかんとそう言うと、凶姫は一瞬ぽかんとした後くすくす笑って俯いて綺麗な横顔を見せた。


「変わり者よね月は。皆が私を怖がって近付かないのに」


「怖がるのは勝手だけど、お前がそれを苦に思っていないなら別にいいんじゃないか?それとも構われたいのか?」


「構われたいとは思っていないけれど…あなたは私を構うわよね」


「いい女だから構いたくもなる」


正直な感想を口にすると、凶姫は頬を赤らめて胸元から素早く扇子を取り出すと顔を隠してどもった。


「これだから色男は!…ちょっと!こっち見ないで!」


「ははっ、可愛いな」


凶姫によれば明日生きるか死ぬかの身。

朔が艶やかな黒髪を緩く結んだ凶姫の長い髪を手にとって口づけをすると、また凶姫に怒られた。


「駄目って言ってるでしょ!?」


「よし、これで悔いはない。ほら、蜜柑持ってきたから食おう」


しとしとと雨が降る中木の下で大好物の蜜柑を貰ってすぐ気をよくした凶姫が笑顔を見せる。


そしてその笑顔が凍りつくことになるとは――夢にも思わなかった。
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