宵の朔に-主さまの気まぐれ-
幽玄町の屋敷に着くと、まずはふたりとも煤まみれで汚れていたため、風呂に入らせることにした。

庭に降りた朔は驚いて飛び出てきた朧と山姫にふたりを風呂に入れるよう頼んだ。


「まずは凶姫からだ。朧、手伝ってあげて」


「は、はい。ええと…凶姫…さん?お風呂に入りましょう、案内します」


「…ええ。…月…一緒に来て」


「え?いや、俺は…」


「月…お願い」


心細さからしきりに朔を呼んでは名残惜しそうに手を伸ばす凶姫が儚く壊れそうに見えて胸が痛んだが――朔は逆の行動に出た。


「じっくり見てもいいなら」


「…え?」


「さっきはあんまり見れなかったけど、今度はじっくり見る。それでもいいなら」


「な…っ、何を言ってるのよ!」


「いやなら早く行け。ついて行ってもいいならじっくり…」


「ひとりで大丈夫だから!」


怒りながら朧に案内されて足音高く行ってしまった凶姫が少し元気になってほっとしつつ、次は縁側に座って俯いている柚葉の隣に座った。


「柚葉、大丈夫か?」


「はい、私は。姫様、本当におつらい目に遭ってしまって私…立ちはだかったんですけどとても敵わなくて…」


柚葉はその男と対面している――朔は少し水に浸した手拭いで柚葉の汚れた顔を拭いてやりながら顔を覗き込んだ。


「どんな男だった?」


「真っ黒な…とても真っ黒な男でした。髪も目も、その心の在り様も…」


「“渡り”だな?」


「ええ、間違いなく。姫様を狙ってやって来たんです。目の他にも奪ってやると言って…」


「目の他にも…」


凶姫からさらに何を奪おうというのか?

そして柚葉をこんなにもぼろぼろにしたその“渡り”に沸々と怒りがこみ上げる。


「まだこの国に居るなら…俺がこの手で」


殺してやる。
< 64 / 551 >

この作品をシェア

pagetop