宵の朔に-主さまの気まぐれ-
息吹が部屋に入ると、まるでそれを待っていたかのように目覚めた凶姫がゆっくり起き上がった。


「母様…どうして」


「うん、実は朧ちゃんと雪ちゃんから別々に同時にお手紙をもらったの。びっくりして父様に伝えずに飛び出てきちゃった」


こいつ…勝手なことをして、という目で雪男を睨んだが、こちらはぷいっとそっぽを向いて答えるつもりが全くなく、代わりに朧が頭を下げた。


「私が勝手なことをしたんですごめんなさい。母様ならきっと凶姫さんたちのお話を落ち着いて聞いてくれるんじゃないかと思って」


「誰も悪くないよ、隠されてた方が悲しいから教えてくれて良かった。ええと…凶姫さんと柚葉さん?はじめまして、朔ちゃんの母です」


朔ちゃん、という可愛らしい響きに凶姫と柚葉が笑みを誘われる。

そしてこの時はじめて朔の真名を意図せず知ってしまった凶姫が慌てて耳を塞ぐと、朔は頓着せず肩を竦めて笑った。


「真名のこと?別に気にしなくていい」


「でも…」


「柚葉も知っているし、俺は問題ないから」


柚葉も知っていると聞いた凶姫が胸にちりちりとした違和感を覚えて手で押さえると、柚葉が心配して身を乗り出した。


「姫様、お加減が?」


「あ、いいえ違うの。あの…はじめまして」


――目は見えないが、息吹のふんわりした雰囲気に凶姫は頬を赤らめながら頭を下げた。

とても穏やかであたたかくて…包み込まれている気がして、傍に座った息吹を見えない目でじっと見つめた。


「大変なことがあったって聞いたけど…身体は大丈夫?」


「はい…大丈夫です」


「大丈夫なわけないでしょ?」


ぴしゃりと否定された凶姫が驚いていると、息吹は酷い傷の走った凶姫の両の掌を包み込んで彼女を叱った。


「痛い時は痛い、悲しい時は悲しい…そう口にしていいの。あなたは傷ついた。それは恥ずかしいことじゃないし、あなたは自分を憐れんでいいの。強がっちゃ駄目。思いを吐き出していいんだよ」


…ずっとずっと、我慢していた。

涙の出ない目を息吹に向けた凶姫はくしゃりと笑って唇を震わせた。


「とても…とても怖かった…!」


「うん…」


「私…めちゃくちゃにされて…死にたいくらいつらかったの…!もう嫌…こんな目にもう…っ」


「うん」


息吹はしがみついてきた凶姫の背中をさすって何度も抱きしめた。

あまりにもつらい思いをした悲しき道を歩んできた凶姫を――


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