烏丸陽佑のユウウツ
段々苦しくなってくる息で、今、行かなきゃ俺は馬鹿だと思いながら走り続けていた。
…俺が抱きしめた時、ドキドキしたと言っていたじゃないか、きっと、部屋が開いてるかどうか、確かめてから俺のところに来たんだ。
俺は馬鹿だ。…こんな日に限って仕事を優先してしまった。優しい言葉もかけずに…素っ気なく。俺のところに来た梨薫ちゃんを、何故、心配したぞ、お帰り、と言って抱きしめなかったんだ。解り辛くても、来たって事は何か思いがあったんだよ、多分。だから、そこは多分なんだ。
もしかしたらだけど、梨薫ちゃんは梨薫ちゃんなりに、俺を確認しに来たんじゃないのか。一言だ。ここじゃなく、部屋に入れないなら俺の部屋に一緒に帰ろうって言うのを期待したんじゃないのか。それを…俺は…。
少しの優越感に浸って、…帰って来た安心もあってだ。肝心な事は何もせず、言わず…大馬鹿野郎だな。そうだとしたら、気まぐれとも言える梨薫ちゃんの気持ちに…俺は間に合うだろうか。……多分とか、もしかしたらとか、そんな、確信のないものばかりだけどな。
…はぁ、…はぁ、…もう、くそジジイじゃないか。はぁ、苦しい、足が上がらない、縺れそうだ。……はぁ。…はぁ。心臓が激しく鼓動し続ける。
…着いた、はぁぁ。着いたぞ、…はぁ。膝に手を付き、荒い息を繰り返した。はぁ…休んでる場合じゃないぞ。まだだ。今が駄目なら、もうないぞ。
マンションに入り、エレベーターに乗った。はぁぁ。誰も一緒にならなくて良かった。エレベーターでハァハァ言ってたら変質者だと思われる…。
ポン。
…はぁ、なんとか、息も…整って来たか。降りて部屋を目指した。
ふぅ。
ピンポン…。
こんな時間だ。どうなんだ…。直ぐには出られないか。非常識は解ってる。身なりを調える間も必要だろ。
ガサガサ、ゴソゴソと中から音がしてきた。ゴトゴトと靴を履く音がした。
「俺が出ますから」
…ん?…男の声?…だ。
カ、チャ。
「…黒埼君」
ドアの隙間から顔を出したのは黒埼君だった。
「私が出るって言って…」
「梨薫ちゃん…」
黒埼君の後ろに梨薫ちゃんが居た。黒埼君のYシャツの背中を掴んで片手は黒埼君が握っていた。まるで後ろに隠すみたいにだ……そうか…そうだったか。なんだ……そうだよな。
何かが自分の中で引いて行くのがはっきり解った。帰るしかないって事だ。…違ったな、…別の意味で馬鹿じゃないか。…ハハ…。
「店では素っ気なくして悪かった。ちゃんと部屋に入ったかどうか、今度こそ本当か、確かめに来ただけだ。居るならいい。良かったよ。じゃあ、おやすみ」
「大丈夫です、おやすみなさい、陽佑さん」
聞こえて来たのは、目の前の黒埼君の声だ。
ドアは黒埼君によって閉められた。多分、タッチの差くらいの事だったんじゃないのか。距離的に黒埼君の部屋の方が近かったという事だ。走り負けたとは思いたくない。…いや、…違うな。…黒埼君はいつものように、ここで待っていたのかも知れない。きっとそうだ。心配で心配で…連絡が全くないのだから、今夜も居ても立ってもいられなかっただろう。
いつもみたいにここでずっと帰りを待っていたに違いない。それが…好きな人に対する行動だ、当たり前の事だ。
それに引き換え俺は…断然足りない、敵うはずがない…はぁ。俺の関わり方はその程度のモノだ。そうだ、自分に都合のいい範囲でだけ、そういう奴にしか見えてないってことだ。
そうなると、さっき迄の俺とのやり取りは、とっくに梨薫ちゃんの部屋に一緒に居ながら…俺のメールに話を合わせていたんだな。そんなとこだろう。…フ、完全にやられたな…。できない振りで、じゃないか…黒埼君は駆け引きをちゃんとしてるじゃないか。
俺が梨薫ちゃんの事を直ぐ知らせなかった事への、きっと、報復だな。
仕事に戻り、直ぐ梨薫ちゃんと話さなかった俺は、その時点で終わってた、…って事だ。
…はぁ、疲れた。本当…疲れたよ。…肉体疲労も半端ない。……もう…休みたいな。