烏丸陽佑のユウウツ
・沸々…。


暫く来店はしないだろうと思っていた予想は外れた。日曜の夜、見るからに気まずそうに現れたのは黒埼君だった。

「…こんばんは」

「いらっしゃいませ」

…。

「…はぁ、何も、ありませんでしたよ。何か、思ったかも知れませんが…変わりはないです、…何も…いつも通り、進展はありません」

…。

「…はぁ、もう…。陽佑さんが最初にズルしたからですよ?…。俺もちょっと、…抜け駆けというか、…ちょっと悪戯したんです。いいですよね?…でも、すみませんでした」

ちょこんと頭を下げられた。

「いいからそんな事。可笑しいだろ?別に、抜け駆けとか悪戯とか、関係ないだろ。したいようにした、それだけの事なんだから。頭を下げてまで謝るのは可笑しい。それに、謝るのは俺の方だ。ここに梨薫ちゃんが来た時、直ぐ連絡しなかった事は、約束破りだったからな。すまなかった、ごめん。という事でいいだろ?…もう掛けたらどうだ?何にする?」

黒埼君は目の前の椅子に腰掛けた。直ぐ知らせなかった事…悪いと思ってるよ、本当すまなかったよ。

「ブルドック、お願いします。…いいんです。だって俺らは厳密には恋敵でしょ?まあ…そう言いながら俺が陽佑さんに懐いちゃってるってところがあるんで変なんでしょうが。どっちが先とか後とか関係なく、した事は似たような事ですよね。はぁ…、俺、あの日は、会社から帰って、梨薫さんの部屋に行ってたんですよ。駄目だとは思ったけど、鍵を開けて中に入って、玄関先に座り込んでずっと居たんです」

無断だったとはいえ、中に居て、いつもみたいに帰りを待ってたんだよな…。

「そしたら、足早に足音が近付いて来たと思ったら、ドアノブが回ったんです。帰って来た、って思って…ドアが開くと思ったら、隙間程度開いて、直ぐ戻されたんですよ。あっ、て思ってる間もないくらい、足音がコツコツ遠ざかって行きました。
多分、梨薫さんで間違いなかったと思います。空き巣ではなかったと思います。
俺が居るという事、察知したのかどうか迄は解りませんでした。でも、鍵が開いていると解って居なくなったんです。危ないと思って入らなかったのかも知れませんが。
跡を追うかどうか、迷いました。で、追い掛けませんでした。
俺が居る云々じゃなくて、入れる事を確認出来て、その上で行きたいところがあるんじゃないかと思ったんです。
前に、開けたままにしてた時に、今度こんな事があったら直ぐ入ると危ないから、俺に連絡してくださいと伝えていました。
なのに、俺の携帯に、預かっている鍵の事も含め、連絡は来なかった」

…その時、梨薫ちゃんは何を思ったんだろう。

「暫くしたら帰って来ました。ノブを回して、また開いてる事を確認したような間があって、そっと、探るようにして入って来ました。
明かりを点ける前です。入ったら暗闇の中、俺が居て、というか、黒い塊ですよね、本気でびっくりしてました。
俺は…咄嗟に立ち上がって抱きしめました。バタバタ暴れる梨薫さんを更に抱きしめました。俺です、俺ですって、抱きしめ続け、明かりのスイッチを探して点けました」
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