アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~


「……!」

 持ち主の手を離れた剣が、距離を置いて地面に突き刺さる。
 レイズはその位置をちらりと確認し、それからまっすぐ自分に向き直った。
 しんと静まりかえる決着。
 先に口を開いたのはレイズだった。

「…これは、どっちの決着だ? どっちの賭けをとる?」
「…どちらでもありません。マオを、ここへ。あの方に会わせます」

 レイズと剣を交えたのはこれで三度目。
 どっち、とは、先の二度の決闘を言っているのだろうとすぐに分かった。
 どちらも決着が着かなかったものだ。
 それぞれ何を賭けたのかも、未だ鮮明に覚えている。決着がついたのは今回が初めてだった。

 だが、いまは。公私混同している場合ではないのだ。
 自分の本来の役割は、このお方を守ることなのだから。
 自分の主の前で負けることなど、決して許されない。
 
「――良い、クオン。面白いものを見せてもらった。お前がそんなに感情を剥き出しで剣を振るうところなんて初めてみたぞ。見れて良かった」

 静寂を破る、手の平を打ち合わせる軽快な音。その場に全くそぐわない。
 人だかりの輪の中から、リシュカ殿の制止を押し切ってジェイド様が近づいてくる。
 呼吸の下で息を整えながら、静かに剣を鞘に納めた。

「時間を割いて申し訳ありません、しかし」
「おまえがわざわざ、おれの分の反感を買うことはない。船長殿が正しい。確かにおれが無礼だった」

 そう言ったジェイド様が、その瞳で優しく笑う。
 そうするともう自分の出番などなくなる。
 ジェイド様は身を起こしたレイズに向き直り、ゆっくりとした動作でフードを下ろしてその姿を顕(あらわ)にした。

「……!」

 ざわりと。
 驚愕の息を呑む声が、無音で広がる。
 流石のレイズも表情を変えた。相手が誰だかを理解して。
 だけどそれは一瞬で、すぐにまたいつもの顔。

「名乗りが遅れて申し訳ない。シェルスフィア・シ・アン・ジェイドだ。マオに話があってきた。彼女に会わせてくれ」
「……船長のレイズ・ウォルスターだ。この国で一番偉い王さまが、マオに一体何の用だ」
「…緩まないな、警戒が」
「当たり前だ。あんたがマオの味方である保証はどこにもない」

 レイズは態度を正さない。
 例え相手が自国の国王陛下であっても。
 ある意味尊敬に値する。
 だがそれも、この国の今の情勢故かもしれない。

 戦争が迫る国の王。
 自分の命を、仲間の命を握っているのが目の前の相手と言っても過言でないのだ。
 命令ひとつで失われる命。
 事実、ひとり。この船は仲間を失ったばかりだ。
 だからこそ余計に、レイズは退けないのだろう。簡単には。

「確かに最もだ。だが」

 レイズの言葉にジェイド様が、一瞬だけ哀しそうにその瞳を伏せ。それから再び相手を見つめる。
 その、揺るぎのない色の瞳。

「マオは確実に、おれの味方だ。…おれの命も、賭けてみるか…?」

 そう言い放ったジェイド様の、その気迫に。何か感じるものがあったのか、それでも怖気る様子のないレイズが漸くその殺気を収めた。
 それから真っ直ぐと相手を見据える。

「マオに手を出したら容赦しない。例え相手が誰であろうと。その時は、ここに居る全員が、あんたの敵だ」

 多くの船員を背に、レイズがそう言い放つ。
 それから「ここだと目立つ。船まで上がってこい」と背を向けた。
 マオの元へ行くのだろう。
 その後ろ姿を、ジェイド様はただ真っ直ぐ見つめて。
 ぽつりと零す。

「…いつの間にか、マオは。随分遠くまで来てしまっていたんだな。ひとりでも…。いや、ひとりじゃなかったのか。おれが傍にいなかっただけで」

 その横顔が、何を思っているのかは分からない。
 ただそれは、とても儚い呟きだった。

 それから念の為にと自分もレイズの後を追う。
 ジェイド様はリシュカ様に促され再びフードを目深に被り、それから船へ向かって歩き出す。

 漠然と、理解した。
 ジェイド様がここに来た理由。
 マオに会いにきた意味。
 その真意。

 マオをもとの世界へ帰す為に来たのだ。
 これ以上彼女を巻き込まない為に。
 傷つけない為に。
 そして何より、失わない為に。

 不思議と驚きもせず、何故か自分はそれを予感していたような気さえした。
 もうすぐ別れの時なのだと。

 アズールとの戦争にマオの力は不可欠。
 それほどまにでに彼女の力は今や強大な戦力だ。
 だからこそ。

 手離すのだ。自らの手で。
 最後にできる唯一のこと。
 ジェイド様は選んだのだろう。それを。

 どんな思いでその最後の決断をしたのだろう。
 どんな思いでここまで来たのだろう。

 守りたいのだ、ジェイド様は。
 この国より、民より、生まれた海より、そして自分の命よりも。
 マオのことを。
 
 大切なたったひとりの為に。
 この国と亡びる覚悟を決めたのだ。

 ならば、自分は。
 その心に従うのみ。
 それが自分にできる最後の、そして唯一のことだった。

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