雨の降る世界で私が愛したのは


 黒い傘は走るのが早く颯太も本気で走らないと追い越せないかと思い始めたとき、傘は一軒のアパートに入っていってしまった。

 小さなアパートで、少しして二階の部屋の一つに灯りがついた。

 カーテンの隙間からわずかに漏れる光に雨が照らされる。

 颯太は来た道を引き返そうとしてもう一度灯りの漏れる部屋の窓を見上げる。

 颯太もなぜ自分がそんなことをしたのか分からない。

 その時は何も考えていなかったと言ってもいい。

 深くは考えずに気づけば体が動いていた。

 颯太はアパートの前まで行くと傘を閉じ、静かに階段を上がった。

 二階に上がるとどの部屋に女性が入っていったのかすぐに分かった。

 足音を忍ばせ隙間から灯りが漏れるドアの前に立つと中から話し声が聞こえてきた。

 耳をそっとドアに近づける。

「ハル」

 顔を見る必要はない。

 一凛の声だった。




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