雨の降る世界で私が愛したのは
ほのかは車に乗り込むとエンジンをかけずに体を座席に埋めた。
バチバチとドラムを叩くような雨音が車内に響く。
階下に住む男は全くハルの存在に気づかなかったと言った。
そしてそれは自分だけではなくこの辺りに住む皆がそうだと。
暗くなってくると通りから人影が消えた。
道を照らす街灯は少なく、雨がすべてを黒く塗りつぶしてしまうようだった。
一凛がハルを散歩に連れ出していたと聞いたときはむちゃなことをと思ったが、こうして夜のこの町を見るとそれはそれほど無謀なことではないのかも知れない。
あんな事件があったのに階下の男は最初ほのかが何について訊ねているのか分からないような様子だった。
もしかして事件の後に越してきた住人なのかといぶかっていると
「ああ、あのゴリラの」
ともう何年も前のことを思い出すように遠い目をして手を叩いた。
この町の住人が他人に感心を持たない、または一時はあっても長くそれを引きずらない気質なのが見て取れた。