妄想は甘くない
連絡先を交換したものの、お互い特にアクションもなく翌日を迎えた。
朝、いつも通りに髪を纏めようと洗面鏡に向かったところで彼からの命令が思い起こされた。
『髪下ろしてみてよ、今度』
どういうわけか染まった頬を感じ取りつつ、掌を充て暫し思い悩んだが、 大神さんは“今度”と言ったはずで、昨日の今日で約束を果たすこともないと言い聞かせた。
窓の外に目を遣ると、爽快な秋晴れといった青空が広がっており、こんな日なら髪もそこまで乱れはしないかもしれない。
しかし何より全て言いなりになってしまっているようで面白くなく、唇を尖らせてひとりむくれた。
言いつけた人と相対することもないままに週末が過ぎ去り、迎えた月曜日、出社早々久しぶりの顔が満面の笑みを見せた。
「宇佐美さん!」
自席の前方から届いた声に顔を向けると、驚きの余り目を見開いた。
「えっ、もう大丈夫なの?」
「お陰様で、随分ご迷惑掛けてしまったみたいで申し訳ありませんでした」
ショートカットの髪を揺らしながら、彼女が深々と頭を下げた。