鬼の生き様

揺れる想い



 ここのところ勇の元気がない。

発端は旗本や御家人の子弟たちに武芸や西洋の砲術を学ばせようと、幕府が新設した機関の講武所(こうぶしょ)が安政二年(1855年)に出来た。


 講武所の指南役は、勇のような百姓出身の者でも、実力さえあれば採用の実力主義の施設であり、家柄や身分によらず、本人の実力次第で幕府の仕事に就けるのだが、身分を問わない制度というのは、この時代において画期的な事だった。

 勇は以前より老中の板倉勝静(いたくらかつきよ)に働き掛けていて、とうとう講武所指南役となることが内定する所までこぎつけていたのだ。

(これで、武士になれる)

勇は嬉々としていたが、創設からしばらく経つと、当初の"実力主義"は、いつの間にかすっかり鳴りをひそめて、家柄を重視する空気が圧倒、支配的になっていたのだ。

「話が違うではないですか!」

勇の怒号が飛び交う。
 念願の武士になれる、そう思いはるばる講武所にやって来た勇は門前払いをされた。

「ここはお前のような百姓が来るところではない!帰れ!」

「たしかに生まれは多摩の百姓!
でも今は江戸牛込甲羅屋敷にある天然理心流、試衛館の道場主!私は武士です」

「出自が問題なのだ。
今はどうであれ、お主は武士ではない!
上石原村で生まれた多摩の百姓なのだ!」

実力主義から身分重視に変わってしまえば、多摩の百姓の出である勇は内定を取り消されてしまっても仕方がないのだ。

 勇の落胆は想像を絶するもので、半年近くも書斎に篭り、道場に顔を出すことすらしなくなった。

「いっそ剣の道から引退しちしまうべえか」

「確かに俺達は多摩の百姓だ。
武士の血は流れていねえが、武士よりも武士らしくなってやろうぜ」

「武士よりも武士らしく?」

「あぁ。武士よりも武士らしくなって、本物の武士って奴等に一泡吹かせてやるのさ。
やられっぱなしは好きじゃねえんでな」

 歳三の言葉に少しは元気が出たが、理想郷ともいえる漠然とした考えに思いを馳せたが現実味なんて帯びてはいなく、落胆はしばらく治ることをしらなかった。


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