鬼の生き様


 時同じくして江戸飯田町には坪内主馬(つぼうちしゅめ)という男が道場を構えている。

心形刀流(しんぎょうとうりゅう)という流派の道場だ。

 永倉はもともとは松前藩出身だったが、剣術好きが昂じて、脱藩し様々な道場の門を叩き道場破りをしてきた。
坪内主馬道場もその一環で門を叩いたのだが、そこで坪内主馬に見込まれ、師範代を行なっていた過去がある。

永倉が師範代を務めていた時は伊庭秀業(いば ひでなり)が師範だったが、安政五年(1858年)にコレラで死んだ。
以後、坪内主馬が道場を守っている。

「永倉さんが居なくなんと寂しいや」

江戸っ子気質の永倉は義理人情が厚く、面倒見がいい為、門人達にも人気があった。

 特に永倉と仲が良かったのは、六尺(約180cm)あまりも身の丈がある大男で、体重も四十貫(約150kg)はあろう巨漢の男であった。
不思議と永倉は、旧知の友である市川宇八郎を筆頭に背の高い者と仲良くなるのが得意らしい。

「島田は相変わらず優しいな。
何、京で存分に働けば江戸にも風の噂で俺の名前も聞こえてくるだろう」

大男の島田魁(しまだかい)はそう言われると、あたかも今生(こんじょう)の別れとでも言うかのごとく目を潤ませた。

「馬鹿、泣くんじゃねえ。
俺だって島田としばらく会えねえのは心寂しいが、俺は強い。
たとえ過激な不逞の輩と相対する事になっても絶対に死なん」

島田はその一言を聞いて安堵したように笑った。

「そういえばこの前、市川さんと逢ったんだ」

「宇八郎か?」

市川は永倉と以前まで武者修行をしていた。
永倉と同じく松前藩の脱藩浪人で、島田と同じく身の丈六尺あまりもある大男である。

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