鬼の生き様

 一方、京都壬生村に浪士組一同は集まっていた。

「なんだよ、京の都っていっても田舎じゃねえか」

左之助は不満の声をあげていた。
もっと華々しい町だと想っていたが、壬生村は思った以上に田舎である。

 烏合の衆であり身形も様々な浪士組は賑やかな河原町通を南に向かい、四条通りを西に進んだ。
京の人々もその二百名以上の大衆を奇異の目で見ていたが、やがてその町民もいなくなり田畑の広がる洛西の壬生村へ案内されたのである。

「壬生村か、良いところだな。
まるで多摩に帰って来たようだな」

勇はそう言った。しかし歳三は左之助の言う通り田舎村にげんなりとしていた。

「俺達ゃ、結局どこへ行っても“郊外(はず)れ”か」

歳三は自嘲しながらそう言ったが、総司一人はにこやかな表情を浮かべていた。

「いいえ、ここは“ハズレ”じゃありません」

「なぜ?」

「だって“当たり”ですもん」

時折、総司のいう事はよく分からない。
歳三は何を言っているんだ、と言ったが総司は答えようとはしなかった。

歳三や勇とは違い、総司は武士の子だ。
奥州白河藩阿部家に仕えていたれっきとした武士なのだ。

 白河藩阿部家は三河以来の徳川家譜代大名(ふだいだいみょう)であり、白河藩に転封する前は武蔵忍藩を納めていたが、その前は下野の壬生藩士であった。
つまり白河藩阿部家の歴史は下野の壬生から始まった。

壬生とはいえども、京と下野の違いがあるが、総司には感慨深いものがあったのだ。

「壬生は縁起がいい場所ですよ」

そう一言だけ総司は言うが、歳三は頭にはてなを浮かべた。

(私の歴史も壬生から始まる)

総司はそんな気持ちを胸に抱いていた。
それにしても壬生村の田舎風景に歳三は(ここが俺たちの始まりか、相応しくねえな)と思っていた。

 浪士組はそれぞれ分宿し分けられた。

更寉寺には根岸友山ら五十九人、新徳寺と前川荘司邸には鵜殿鳩翁や清河八郎ら取締役。
そして祐天仙之助ら三十八名。

壬生村会所は山南を激怒させた村上俊五郎や柏尾馬之助ら十名。

中村家には、石坂宗順や芹沢の懐刀の新見錦ら三十人。

南部家、四出井家、浜崎家、柳家 、近隣の大百姓の家を二件。

そして歳三や勇、そして芹沢鴨が八木源之丞邸宅に分宿された。

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