鬼の生き様

天覧試合



 文久三年(1863年)四月十六日。
黒谷金戒光明寺、御影堂(みえいどう)。

 京都守護職、会津藩が本陣を置いている黒谷本陣の御影堂には紅白の幕がかすかにたなびいていた。

この日、歳三ら壬生浪士組は、会津藩主の松平容保の御前で試合を披露したのだ。

 見物席に着座した容保は、冒頭ふと思い出したように、脇に控ひかえる芹沢鴨、新見錦、そして勇の顔を見わたして、つい昨日朝廷で起こったという出来事を語りきかせた。

「…朝廷を牛耳る三条実美(さんじょうさねとみ)卿、姉小路公知(あねがこうじきんとも)卿が、備前岡山藩主・池田茂政(いけだもちまさ)公、水戸の昭訓(なりあき)公といった面々を学習院まで呼びつけ、なにごとかお尋ねになられたらしい」

この面々が顔をつき合わせて謀を巡すとなれば、それは攘夷実行の策略に他ならず、すなわち、この京に遠からず嵐が吹き荒れることを意味している。

 水戸の名が挙がったとたん、新見が含み笑いをもらした。
芹沢鴨を筆頭に、新見錦、平山五郎、平間重助、野口健司は水戸の出身なのだ。

「近習にかしずかれて育った公卿を御するなど、容易いだろう。なにを入れ知恵したのやら」

聞こえよがしの独りごとに、芹沢もニヤリと微笑み返す。

「自分たちのほうが操られているとも知らず、盟主気取りのお公家さんたちも憐れなもんさ。今ごろ鼻息も荒かろうぜ」

曲がりなりにも学問の都である水戸出身の二人は、雲の上で行われたこの諮問会議が、やがて自身の運命に直結することを知っている。が、二人の胸中には、それぞれ故郷に対する複雑な想いが渦巻いているように見えた。

一方、勇は言葉を切ったままいつまでも口を開こうとしない容保に焦じれていた。

「…我らは、これからそうした朝臣をも敵に回すことになるのでしょうか」


松平容保は物憂げに顎をさすり、つぶやくように応えた。

「余も分からんが、恐らく幕府へのあてつけの意図もあろう。
しかし、芹沢の申すとおり、かの若き二卿を操っているのは、真木和泉(まきいずみ)や長州の桂小五郎(かつらこごろう)だという噂もあってな…」

そう言ったきり、どこか宙空の一点を見つめて、容保はまた押し黙った。

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