鬼の生き様
第一章

石田散薬



 府中の六社明神では、夜中だというのに人々は祭りの熱狂に血が騒いでいる。
いわゆる〝くらやみ祭り〟の祭礼が行われていた。

くらやみ祭りとは古来から続く格式と伝統を垣間みる事のできる、国府祭を起源とする例大祭である。

 天保六年(1835年)五月五日。

 その六所宮より歩いておよそ二里(約8km)、武蔵国多摩郡石田村にて、そんな祭りの最中に一人の男子が生まれた。
土方歳三、名は義豊といった。

 武蔵国多摩郡石田村は、江戸時代の初期から天領と旗本領であったが、徳川御三卿の一つ、田安家が延享三年(1746年)に創設されたことにより、郡内西部の諸村は田安領になった。

 多摩一帯には豪農が多く、徳川家の直轄領とあって、徳川家に対する忠誠心は強かった。


土方家もその一つで、石田村では“お大尽”と呼ばれるほどの豪農であり、当主の土方隼人は歳三が生まれる三ヶ月前の二月五日に労咳で没しており、母の恵津は、歳三を遺腹で産んだ。


その恵津も歳三が六歳の時の天保十一年(1840年)に労咳(肺結核)で亡くなった。

 長男の為次郎は視力を失っていたため、次男の喜六と、その妻のナカが親代わりとなって歳三は養育されていた。
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