秋の月は日々戯れに


「ただいま」


つい癖で、言ってしまう。

なにせ言わないと、彼女は途端に不機嫌になるのだ。

おかげで癖づいてしまった“ただいま”は、彼女がいなくなった今でも、玄関口に虚しく響く。

当たり前のように返ってきていた“おかえりなさい”も、出迎えに来る笑顔もなく、家の中はシーンと静まり返っていた。

靴を脱いで廊下を抜け、ドアを開けて部屋に入るも、真っ暗な部屋には当然のように彼女の姿はない。

電気をつけて改めて確認しなくても、彼女は幽霊の特性上暗闇にぼんやりと浮かび上がるから、暗くてもいないことはよく分かる。

なんだかどっと疲れが出て、鞄と同僚に貰った紙袋をぼとっと足元に落とした。

ネクタイをちょっぴり緩めただけで上着を脱ぐことすらなく、フラフラと辿り着いたベッドにうつ伏せで倒れこむ。

部屋の空気は冷え切っているけれど、エアコンをつけるのさえなんだか億劫だった。

少し前まではこれが当たり前だったはずなのに、いつの間にか、電気のついた温かい部屋で“おかえりなさい”と出迎えられることに慣れてしまっていた。

それがもう、当たり前になってしまって、少し前の当たり前なんか、とっくに上書きされてしまった。

シーツに押し付けていた顔を横に向けて、キッチンスペースをぼんやりと見つめる。
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