今宵、エリート将校とかりそめの契りを
それでも琴の心はこの可憐なバラの花で和み、まだ早乙女家が裕福だった頃のことを思い出していた。


琴が尋常小学校に通っていた頃、この帝都で西洋植物の展示会が開催された。
それに両親と顕清と連れ立って行ったのが、琴にとって一番最後の、家族の思い出だ。


琴が女学校に進学した後、先の戦争特需の余波から、父が事業に失敗した。
程なくして兄が軍部に徴兵され、それ以降家族四人で楽しく過ごした記憶がない。


(すべて戦争のせい。戦争なんか起きたから、私の人生も家族も……全部狂った)


人を不幸にする戦争など、無くなればいい。
とても声高らかに言えることではないが、琴はそう思う。
だからこそ、戦争の勝利に酔いしれ、国民の前で威厳たっぷりにパレードを行う軍人が嫌いだ。


そして今、自分がその軍人の妻になっている。
どこまでも皮肉で、琴は自嘲気味に笑うしかない。
しかし。


(いいえ。私はあの人の妻なんかじゃない。そんなの、形だけのもの)


琴はスクッとその場に立ち上がった。
冬の乾いた空気に晒された唇が、少しかさついている。
琴は無意識に唇に指を当て、目を伏せた。
土で汚れたブーツの爪先が目に入る。


(あの人は……私の唇には触れなかったもの)
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