生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
「具体的にコレからどうするのか、聞いてもいいか?」

 推しの尊いが過ぎると叫ぶリーリエは、苦笑するテオドールを見ながら笑う。

「ヘレナート様の目的は私の身体のようなので、大人しく攫われてみようと思います」

 眉間に皺を寄せたテオドールを見ながら、リーリエは開封済みの魔術省からの招待状を出す。

「一部しか解析できませんでしたが、魔法がかかってます。おそらく、幻惑の類ですね。攫われた時点で、私の存在は忘れられるでしょう」

 この世界にはない知識と魔法。
 それは異世界を転移し続けたヘレナートのオリジナルだろう。

「師匠曰く、"夢"というのは境界線がかなり甘くなるのだそうです。大賢者が描く魔法なら、私自身が覚えていない前世での知識や記憶も上手くいけば得られるかもしれません。それを探ります」

「……当然、リスクはあるだろう?」

「そうですね。向こうは記憶の忘却(リーリエの消去)を目的にしていますから、下手すれば得られるどころか全部持っていかれますね」

 テオドールの問いにリーリエはあっさり肯定する。
 だが、どのみち魔力にしろ、術式にしろ、知識にしろ、真っ向勝負で敵う相手ではない以上、リスクは負わねばならないだろう。

「だから、テオ様が私にとっての命綱なのですよ」

 難色を示すテオドールを見ながら、リーリエは笑う。

「私の組紐持っていてください。全種異常状態からの回避なので、多分幻惑の類も回避できますから」

 全てを読み解けない魔法でもこの世界の法則に則って発動する以上、異常状態の回避は有効のはずだ。
 ヘレナートは推しがリーリエの人格を引き留めると言っていた。
 その人を定義づける記憶を消し去るために、他者の中にある存在認識ごと記憶を潰すつもりなのだろう。

「前に言ってくださいましたよね。テオ様の中にも私はいる、と。なので、私の存在(リーリエ・アシュレイ)はあなたに預けます。そのために全部お話ししましたし」

 今まで誰にも話した事のない前世の記憶。
 それも含めて、リーリエ・アシュレイの存在を最愛に預ける。

「悪夢は、本当は見たくないですし、私が私で無くなってしまうのは、やっぱり怖いです。なので、なるべく早く起こしに来てくれると嬉しいです」

 相談ではなく、決定事項として話すリーリエを見て、テオドールは止めても無駄なのだろうと悟り、ため息をつく。

「起こすって、どうすればいい?」

「魔法陣への魔力供給を絶つか、魔法陣を無効化するか、術者本人を倒すか。だいたいはこの3つのどれかで術式の発動が途切れるはずです」

 いずれかの方法ならできなくはないだろう、とテオドールは思う。
 止めてもリーリエの性格上やるのだろうと、分かっている。それでも、最悪のもしもが頭を掠める。
 もし、目が覚めなかったら?
 目が覚めたとして、リーリエが今の人格を保っていなかったら?
 テオドールは、それがたまらなく怖いと感じる。それほどのリスクをリーリエが負う必要があるのか、と。

「私、ずっと20歳を超えられないんです。夢の中で、18〜19の間で必ず死んでしまうのです」

 そんなテオドールの心情を察したように、リーリエは静かに話す。
 フラグをいくら折り続けても、ずっと不安が尽きなかった、大きな壁。

「私がアルカナで害された場合、また戦争へ一直線って可能性があって、自国もアルカナも和平が保てなくなるというのはもちろんなんですけど、もういい加減、私自身がこんな悪夢から抜け出したいっていうのもあるのです。これがそのチャンスなら私はリスクを取ってでも、このフラグは折りたいのです」

 リーリエはテオドールの手を握る。

「それにね、もし全部忘れてしまったとしても、テオ様の事は思い出せる気がするのですよ!」

「……何を根拠に」

「だって、前世からの最推しですよ! 忘れられるわけ、ないじゃないですか。もし、忘れちゃっても、きっとあなたの事を好きになる。その自信ならめちゃくちゃありますよ」

 ふふっと楽しそうに、そして自信ありげにそう語る翡翠色の目を見て、テオドールは覚悟を決める。

「まぁ、その時はその時で、また一から始めるか」

 リーリエの手を握り返しながら先の長い話だな、とテオドールは苦笑した。
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