生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する

109.生贄姫は切り捨てられる。

「珍しいな。呼びもしないのに、お前が俺の所に来るなんて」

 ルイスはアポ無しでやってきたテオドールの入室を許可し、人払いを済ませたあと、書類から目を離す事もテオドールに椅子を勧めることもなく、ついでのようにそう言った。

「頼みがある」

 そんなルイスからの対応を気にすることもなく、テオドールは切り出す。

「却下」

 話かけられたルイスは、テオドールが訪れた理由すら聞かず短くそう言った。

「まだ、何も言ってねぇだろうが」

「聞かなくても分かる。リリの事だろ。じゃなきゃ、お前が毛嫌いしてるこの宮にわざわざ足を運ぶかよ」

 はぁ、とこれ見よがしにため息をついたルイスはようやくペンを置き、テオドールの方に視線を向ける。

「用件それだけなら帰れ」

 冷たく、静かにそう言ったルイスの眼前にテオドールは愛刀を向ける。

「何? 俺の首でも取りにきた? それとも脅せばおねだりの一つでも聞いて貰えると思ったか」

 ルイスを取り巻く雰囲気が一気に変わり、彼の周りをバチバチと稲妻が走り始める。

「俺は今すこぶる機嫌が悪い。ヤルならやるけど?」

 ルイスの内面に呼応するかのように、攻撃力の高い電気魔法が組み上がっていく。
 今は内政に忙しいため一線から退いてはいるが、雷属性の魔法の使い手としてはかなり高位の術師であるルイスが本気を出せば、国内でも指折りの戦闘力を誇る。
 その実力はふらりと単身で最も治安の悪い辺境地へ腹違いの弟を揶揄いに行けるほどだ。それでも純粋にやり合ったところでテオドールに敵わなうわけもない。

「頭に血が上り過ぎだ」

 ルイスの怒り様に逆に冷静になったテオドールは、ため息をついて机に愛刀をおく。

「お前の首とったり脅す気ならドア開けた時点でやってる。リーリエの今後について話に来ただけだ」

 危害を加える気はないとはっきり言ったテオドールは、ルイスに深く頭を下げた。
 テオドールが自分に頭を下げた事など一度もなく、頼み事だってされた事はない。
 そんなテオドールの行動を見て、ルイスは息を飲み、バツが悪そうな顔をした後徐々に冷静さを取り戻していく。

「……頭上げろ。あと、リリは今どんな状態?」

 はぁっと深く息を吐いて、後悔の念を滲ませた声でルイスが尋ねる。

「すこぶるいつも通りだな。表面上は、だが」

 テオドールは自主退院後のリーリエの様子を淡々と語る。
 屋敷に戻ったリーリエは、病室で話したようにあっという間に日常生活を送れる程に回復した。

「いっそ、泣いて喚いてやつ当たってくれたらと思うほど、何事もなかったかのように普通に過ごしている。最初から魔術式なんか、描けなかったみたいに」

 リーリエはいつも通りに起床して、可能な範囲でリハビリがてら身体を動かし、テオドールを見送ってからはいつも通りに執務室で彼女のできる範囲の仕事をして、好きに過ごしている。
 いつ見ても、いつ話しかけても、リーリエは一分の隙もなく完璧な淑女で、洗練された動作も表情も淑女のそれで。
 皇子妃としてならば、文句のつけようもないほど優秀で、完璧で。
 元々魔力量の少ないリーリエは日常的に生活魔法を使っていたわけでもなく、もう既に作られた魔道具であれば彼女自身が起動する必要もない。
 リーリエは多才で努力を惜しまない。だから"なかった"事にしても、確かに生きてはいける。
 リーリエの翡翠色の瞳が以前のようにワクワクと効果音がつきそうなほど楽しげに彩られる事も感情に揺れ動く事もない事を除けば、多分何の問題もないのだろう。
 時折、僅かな綻びを修正しようとペンを取り、もう描けないのだと思い出した自分に呆れたようにため息をついたり、自作の魔道具すら起動できない現実に直面して色を失った顔で指先に視線を落とすなんて、わずかな時間の些細に漏れ出る本音さえ無視してしまえば、きっと"初めから魔術師などではなかった"という事にできるのだ。
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